造船業界は幾度も荒波に

新人が造船マンとしての基礎を学ぶ大分地域造船技術センターで入所式があった。 大分地域造船技術センターに行ってきた。佐伯市にある三浦造船所野岡工場内にある。新人を造船マンに育てていくための基礎教育を行う。4日、3カ月間の研修を受ける33人の入所式があった。研修生は佐伯、臼杵両市を中心に津久見市や北九州市、山口県下関市の企業を含む計12社から集まった。新人教育を合同で実施しているのだ。

 大分地域造船技術センターは臼杵、佐伯両市の造船業界が国や県、市の財政支援を受けて2006(平成18)年に設立した。1947(昭和22)年から49(同24)年生まれの団塊世代の大量定年を控えて熟練技能の継承が課題となる中、業界が連携して職人の育成に取り組むのは全国で3例目で、九州では初めて-と新聞記事は伝えている。

 中小企業が単独ではできないことも協力すれば可能なこともある。技術の継承と造船業の発展を目的にしたこのセンターも成功の部類に入るだろう。これまで10期計266人が無事に研修を修了している。

 造船と言えば幾度も荒波をかぶり、淘汰、再編を繰り返してきたイメージが強い。臼杵、佐伯両市の造船業も例外ではない。臼杵市史は「醸造と並ぶ臼杵市のもう一つの基幹産業である造船工業は、オイルショック以後の構造不況により、昭和47(1972)年をピークに急激に衰え」と書いて、次に起きた厳しい現実を予告する。

 「昭和53(1978)年7月、臼杵鉄工所が大分地方裁判所に会社更生法の適用を申請、関係者に大きなショックを与えた」と続ける。さらに追い打ちがかかる。「長引く造船不況に加えて円高不況も響き、昭和62(1987)1月に田中産業グループ3社が大分地裁に和議開始を申し立て、事実上倒産した」。臼杵、佐伯の造船業の柱は次々に倒れていった。だが、悪いことばかりではない。

 直後にバブル経済の追い風を受けて造船業界も息を吹き返した。業界の再編、再建の動きが活発化した。臼杵市にあった臼杵鉄工所の施設を使い臼杵造船所が、臼杵鉄工所の佐伯市の施設で佐伯重工業が操業を始めた。

 両市の造船業は生き残り、現在も「製造業に占める造船業の割合は佐伯市で5割、臼杵市で3割」と、4日の入所式で来賓の1人が紹介した。一時は中国、韓国に押されっぱなしに見えた日本の造船業界だが「海外の船主が戻ってきている」などと臼杵造船所の角田二朗社長は言う。

 佐伯湾に船で出るとあちらこちらに造船所のクレーンが見える。厳しい局面を乗り越えるためにさまざまな努力が積み重ねてこられたのだろう。臼杵、佐伯両市の造船業界の歩みを詳しくまとめたものがあれば読みたいのだが、あいにくとまだ見つけていない。地域の基幹産業の苦闘の歴史を丹念に記録することにも意味があると思うのだが。

 ところで、「観光」産業が経済成長の核ともてはやされているようだが、地域経済の大きな柱として製造業の役割はなお大きい。ちなみに1人当たりの市町村民所得(2012年度)を見ると、大分県内では自動車産業が集積した中津市がトップで、セメント産業がしっかりしている津久見市が2位だった。

 

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