大入島(おおにゅうじま)は佐伯港の目と鼻の先にある。 サイクリングコースがあると聞いていたから、もっと平たんな島だと思っていた。確かに海沿いの道は上り下りが少ないが、横に岩壁が迫り、
道が狭いところも少なくない。島と聞いて思い描いていたイメージとはちょっと違う。「百聞は一見に如かず」だなとあらためて思った。
12日、佐伯港を午後1時15分発の「大入島観光フェリー」に乗った。今日は風もなく、波もない。穏やかな海を行くこと10分足らず。大入島・石間の岸壁に着いた。
フェリーを下りると真ん前に案内標識がある。クルマのウインカーを左に出し、「守後(もりご)」「堀切」「高松」と時計回りに走ってみることにした。宮崎市の誘客キャンペーン隊がこの島に着くのは午後2時半の予定。島を一周する時間は十分にある。だが、島は意外に広かった。
大入島の地図を見ると、真ん中が細くなっており、その形から「ひょうたん島」とも呼ばれる。このくびれた部分の「堀切」を過ぎたあたりから運転は慎重になった。道は狭くなり、真横の岩壁の迫力が増す。スピードは出しにくい。
高松、次は日向泊(ひゅうがどまり)、そして荒網代(あらじろ)を経て、石間に戻った。島一周が約16km。30分以上はかかった。
今回の目的地は日向泊。ここに宮崎市のキャンペーン隊が来る。石間から再び日向泊を目指した。日向泊は「神武天皇上陸の地」とある。神武天皇が現在の宮崎市を立ち、現在の奈良県橿原市に至って初代の天皇となった、
その足跡をたどりながら、ゆかりの地で宮崎市のキャンペーンを行うという。初日の目的地が大入島日向泊の「神の井」だった。
伝説によると、大入島に上陸した神武天皇が、島に水がないのを憂い、弓矢で海岸を掘るとたちまち清水が湧き出たという。それが「神の井」の由来という。
大入島について少し調べてみようと、事前に佐伯市立図書館に行った。郷土史を調査研究する「佐伯史談会」が定期的に発行している雑誌がある。図書館に行って、それを見れば大入島の歴史がもっと分かるのではないかと考えた。
10年ほど前の資料に大入島に関する報告があった。報告には、荒網代で発掘された古墳が6世紀頃には既に島民が居住していたことを示すが、その後中世、近世を通じて島の歴史を伝える資料はほとんどない-と書かれていた。
古代から現代までの島の歴史がある程度描ければ、もっと大入島の魅力が高まるのではないか。そう言えば「大友宗麟 鹿狩りの地 1574年」の案内板もあった。調べれば興味深い話がもっと出てくるのではないか。