米水津での議会報告会

対岸にあるのが宮野浦地区だろうか。午後7時前はまだ明るい。 午後7時前に佐伯市米水津(よのうづ)宮野浦に着いた。月は頭上にあったが、まだ明るい。16日から佐伯市議会の議会報告会が始まった。23人の市議会議員が5班に分かれて、市内各地で議会報告を行う。16日は行けなかったので、17日はのぞいてみようと思っていた。この日の5会場の一つが宮野浦地区センターだった

  1市5町3村が合併して新たな佐伯市になったのが2005(平成17)年。年1回の議会報告会は定数が合併後の44人から30人、26人へと削減されていく中で始まった。今年で8回目だという。

 報告会にはどれぐらいの住民が集まるのか。どんな報告が行われ、住民からはどんな意見が出されるのか。様子を一度は見ておこうと考えていた。

 宮野浦地区を選んだのはもちろん理由がある。4月19日の佐伯支局長日誌「人生いろいろ 干物もいろいろ」でも書いたが、宮野浦地区には自主防災組織「むらの覚悟委員会」があり、南海トラフ巨大地震で予想される大津波への対策を独自に講じようとしている。

 市議との意見交換でも防災・減災の課題がいろいろと出されるのではないかと考えた。

 宮野浦地区センターの報告会には30人以上の住民か参加した実際の意見交換でも地区の現状を踏まえた細かい注文や要望が出された。とはいえ、議員としては、注文に応えてやるともやらないとも言えない。基本は意見を聞き、場合によっては市に善処を求めるところまでだ。

 それでも宮野浦地区の報告会の参加者は30人を超えていた。議会報告なんて堅苦しいし、そんなに集まるかななどと漠然と考えていたよりも多かった。昨年の第7回の議会報告会の資料を見ると、市政に関する住民の意見は米水津地区では1件が記録されているだけだった。

 やはり熊本地震が大きいのだろう。住民はさまざまな場を利用して行政に地域の意見、要望を伝えようとしていると思った。そこで議会がきちんとパイプ役を果たせば、議会の役割が再認識されるきっかけともなり得る。逆に言えば、形式的に意見や要望を聞くだけで、それ以上の行動がなければ議会の存在感はさらに薄らぎかねない。

 ところで、街の暮らしに慣れれば暗闇に慣れない。夜の深さが違う。宮野浦地区センターを出たときに思った。明かりが少なく、周囲が暗いのだ。もし今、地震や津波が襲ってきたときしたら、どこに逃げればいいのか。にわかに判断がつかない。

クルマのヘッドライトで照らした津波避難地の案内板 集落の中には津波避難地の案内板があった。しかし、集落と集落の間の人家がないような場所はどうか。クルマで通ったので見落としたのかもしれないが、案内板がなかった気がする。こんなところでも、いざという時にどこに逃げればいいか、その避難場所、避難経路の標示が必要だろう。こんなことを考えるのも今回の震災があったからである。地理不案内な場所を夜間に訪ねる時は水と食料を少しクルマに積んでおこうか。真面目にそんなことを考えた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です