廃校巡り①~灘小学校

卒業児童総数698人と小さな学校だった灘小学校 廃校が提案された時の児童数は12人、複式の3学級だった。複式とは違う学年の児童が同じ教室で学ぶこと。教師にとっては指導が難しいといわれる。複式学級の解消を理由に、半世紀余りの歴史を刻んだ佐伯市立灘小学校が閉校になったのは2010(平成22)年3月31日だった。卒業児童総数698人の小さな学校だった。

 校門の一つから見える灘小の校舎。よく見ると時計が掛かっており、今の時間を刻んでいる廃校となった小中学校を訪ねてみる。そんなことを思いつくきっかけになったのは佐伯市議会の議会報告会だった。

 5月17日の佐伯支局長日誌「米水津(よのうづ)での議会報告会」に書いたが、佐伯市議会では23人が5班に分かれ、市内各地で報告会を開く。17日の米水津に続き、18日も別の会場に行ってみた。

 そこで廃校の活用について質問が出た。26の小中学校が廃校になったが、その後の校舎などの再利用、活用が進んでいないのではないか。確か、そんなような趣旨だったと記憶する。

 現在の佐伯市は1市5町3村が合併して誕生した。市域が九州一広い都市である。合併前も含めれば廃校はそれぐらいあるかもしれない。市教育委員会に尋ねると、平成10(1998)年以降の28校のリストをいただいた。その最初に書かれていたのが灘小学校だったので、そこから廃校巡りを始めることにした。

 佐伯市南海部郡学校教育史要覧(郡市現退職校長会編)によると、灘小学校は1953(昭和28)年独立とある。58(同33)年には新校舎が新築落成、68(同43)年にはプールが完成し、校舎手前のプールには水が満々と張られていた74(同49)年には水泳優秀校として日本水泳連盟から表彰を受けたとあった。

ただ、この時のプールが現在まで残っているわけではなさそうだ。その後の年表を見ると、83(同58)年に体育館が新築完成、84(同59)年にプールが完成、85(同60)年には鉄筋校舎が完成―とある。

 サビで赤みを帯びた体育館の屋根がわびしさを感じさせる今あるのは30年ほどが経過した施設ということか。サビで赤みを帯びた体育館の屋根などはまさに廃校のイメージそのものといえる。ただ、灘小学校の旧校舎は今も活用されている。

 2014(平成26)年3月議会に市側から「財産の無償貸し付けについて(旧灘小学校本校舎及び給食受け入れ施設)」の説明があった。

 貸し付けの相手方はアローファーム株式会社。自動車部品メーカーの大分部品が設立した会社で、業務内容は佐伯市で稲作、臼杵市でサツマイモやベビーリーフを生産しているという。貸付期間は14年1月1日から18年6月30日までの予定―などと市側が説明し、議会の了承を得た。

 灘小校舎は再活用されていた。校舎の下には自動販売機や作業服がぶら下がっているのが見える確かに裏側に行ってみると、自動販売機があったり、作業服がぶら下げられたりしている。正門のところに何台もクルマが止まっていたのも、この会社の関係者だと考えれば合点もいく。

 灘小学校の再活用の方法をどう評価するか。これは課題として残しておき、先を急ぎたい。時間をつくって一巡し、まずは現状を報告したい。全部を回ったところで、疑問や課題を明らかにし、よりよい活用法などが考えられれば理想的だが。

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