廃校巡り②~西上浦小

閉校にあたって設置された記念碑には校歌が刻まれていた 旧佐伯市内で昨年3月末に閉校した小学校がある。西上浦小である。JR佐伯駅から北に2駅目の狩生駅近くにある。閉校の理由は児童数の減少とともに校舎の耐震補強工事が難しかったことがある。

 3階建ての鉄筋校舎とプールは本年度中に解体されることになっている。耐震強度不足と言われた建物を見るとなんだか危なげにも思えてくる耐震強度不足と言われて、その建物を見ると何となく傷みががひどいようにも思えてくる。閉校記念誌「おきづる」を見ると、鉄筋3階建ての校舎は1964(昭和39)年11月に起工し、翌年4月にできあがった。

 93(平成5)年には校舎の大規模改造工事が行われた。ここに追加の補強工事を施すのは難しいということか。工費がかさむとすれば費用対効果を考える必要もある。

 ところで閉校記念誌の名前がなぜ「おきづる」なのか。西上浦小の歴史は1882(明治15)年に始まる。沖鶴小学校と称し、民家を購入して教室一つでの出発だった。

 校歌が刻まれた記念碑の奥に明治時代に行った校舎増築の記念碑のようだ大きな石碑があった。右から左に「増築記念碑」と読める。西上浦小の沿革史によると、1教室だった沖鶴小は普通教室2、裁縫教室1というように明治時代に4回の増築を行い、教室を増やしていった。石碑には沖鶴尋常高等小学校と書かれているように見えるから、最後の4回目の増築記念碑かもしれない。閉校まで133年の歴史を感じさせる。

 もっと新しい思い出もあった。道路沿いの体育館の扉には児童の大きな絵が体育館の扉に児童の絵が描かれていた。2000(平成12)年9月5日とある。さすがにあちらこちらと色が薄れ、剥げてきている。

 閉校記念誌には明治以来の卒業写真が掲載されている。ざっと数えると1960(昭和35)年度や61(同36)年度の写真には卒業生が80人ほどいるようだ。戦後のベビーブームに生まれた団塊の世代にあたる。

 この記念誌で卒業写真が白黒からカラーに変わったのは1980(同55)年度だった。卒業写真は白黒という慣習が長く続いたということか。

 さて、多くの人たちの思い出が詰まった校舎とプールは本年度中に解体される校舎も来春までには姿を消すことになる。

 *今後の廃校巡りはしばらく期間をおいて掲載していきます

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