海水浴客で島が沈んだ

 正確には「沈んだ」ではない。「沈むようだった」「沈むような気がした」となる。それほど海水浴客が大勢押し寄せた、賑わった時期があったということだ。海開きが行われ、関係者が安全を祈願した。かつての臼杵市の黒島を形容した言葉である。その黒島で海開きがあった。同市観光情報協会が黒島につけたキャッチフレーズは「歴史ロマンと南国ムードが漂う島」。それはいいのだが、海水浴客の見込みは約1万人という。昔を知る人には驚くべき数字だ。

少し離れた場所で車いすの男性が海開きの様子を見守っていた 少し離れたところで車いすの男性が海開きの様子を見守っていた。渡邊健市さん、94歳だそうだ。聞くと、この黒島海水浴場を開いた人だという。海水浴場近くにある「渡邊源次郎開島記念碑」を建てたのも健市さんのようだ。

黒島と渡邊家の関係が分かる開島記念碑 記念碑の裏側に経緯が刻まれていた。源次郎は明治34(1901)年に黒島を買い入れ、妻イワとともに夏みかんや桃などの栽培を始め、漁業にも取り組んだが同43(1910)年9月に53歳で病死した。

 ここで大きく時代が飛んで、昭和26(1951)年に海水浴場を開設し、今では年間十数万人の人々が利用するようになりました、とある。

 そして、賑わいの基礎を築いた、祖父にあたる源次郎らの苦難と偉業を偲び記念碑を建立しましたとある。それが昭和50(1975)年のことのようだ。

 臼杵市観光情報協会によると、黒島が一番賑わっていたのが30、40年前ぐらいだそうだ。島が沈みそうだと言われた最盛期にどれくらい人出があったかは分からないが、仮に20万人ならば最近の利用客見込み1万人は20分の1、10万人なら10分の1になる。

 かつては黒島で結婚式や法事もあったという。市観光情報協会の人に聞くと「兄も黒島で結婚式を挙げました」との返事。確かに往時を知る人にとって現状は寂しい限りだろう。

 減った原因は一つではなく、さまざまあろう。黒島は臼杵市北部の佐志生地区から約300m離れている。渡船の料金は往復で大人500円 小学生250円。佐志生側の駐車場も料金が500円かかる。夫婦と小学生2人ならこれだけで2000円になる。これも一因との声も。

 それだけのお金を払うのに見合うものが黒島になければならない。海水浴だけで人を引きつけることができないとすれば、何を加えるか。それが「歴史ロマン」というわけだ。

黒島は周囲3キロほどの小島だが、古墳、城跡など遺跡がある 具体的に言えば「古墳」「黒島城跡」「リーフデ号」。もう一つ加えれば「佐志生断層」となる。

 古墳は島の北側に1号~3号、南側に4号、5号とある。黒島は聖なる島、祭礼の島だったのではないかという。

 この南側の古墳の上に建てられたのが黒島城という。豊後を治めた大友氏は操船技術に優れた人々を「水軍」として組織化し、戦争では黒島城が司令塔になったのではとの話だった。

 リーフデ号については4月13日と14日の佐伯支局長日誌で紹介した。臼杵市は長崎県平戸市、静岡県伊東市、神奈川県横須賀市とともにウィリアム・アダムズ(三浦按針)にゆかりの地として「ANJINサミット」を持ち回りで開催してきた。

 今年は臼杵市での開催予定だった(熊本地震で中止)。市はサミットに合わせ、リーフデ号が漂着したとされる黒島で記念公園などの整備を進めてきた。こうした黒島の歴史と遺跡を生かせないかと関係者は考えている。

 いろんなアイデアが出てくるのはいい。ただ、美しい海と対岸の佐志生側に泳いで行けそうな距離が黒島の魅力だ基本は海の美しさと、歩いたり、泳いだりしても行けそうに思える距離をどう生かすかだろう。素人だから思いつきの域を出ないが、カヌーやカヤックなどで島の周りを回ったり、黒島と佐志生海岸の往復でレースをしたり、いろんな楽しみがありそうに思える。素人目には黒島の潜在的な魅力は高く、立地条件も良いと映るのだが。

 

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