直川白炭~その②

直川憩いの森公園キャンプ場は木曜日が定休日 「直川白炭(なおかわはくたん)と豊後備長炭」では寺嶋林産の炭焼き窯を写真で紹介した。直川白炭クラブの窯がある「直川憩の森公園キャンプ場」は木曜日が定休日。中に入ることができず、あらためて金曜日の3日に行ってみた。
  キャンプ場の駐車場にクルマを入れ、管理棟「ぱぴおん」に向かった。受付で「炭焼き窯を見たいのですが」とお願いすると、キャンプ場に入れてもらえた。炭焼き窯はバンガローより高い場所にある炭焼き窯はバンガローより一段高いところにあり、しかも少し奥まった場所にあるので、バンガローよりも低い駐車場や管理棟からはまったく見えない。

 受付で言われた通りに行ってみると、言われたとおりに進むと炭焼き窯が見えた炭焼き窯があった。屋根の梁に細長い板がぶら下げられている。そこに「この炭焼体験学習施設は平成13年度宝くじの助成を受けて整備したものです 直川村」と書かれてあった。

 専業である寺嶋林産の窯は迫力があるここで、あらためて2日に見学した寺嶋林産の炭焼き窯を見てみよう。やはり専業である。迫力が違う。ただ、直川白炭クラブの代表も寺嶋林産も同じようなことを言っていた。

 71年前の終戦後、戦争遂行のために木材を供出し、丸裸となった林野に植林が奨励された。杉、檜が競うように植えられ、条件の良いところから埋め尽くされていった。結果、樫などのいわば「雑木」は追い立てられていった。

 炭焼きの衰退の背景に林野行政もあるのではないかとの指摘である。樫は生命力が強く、伐っても、その切り株から新たな芽が出て、15年ほどすると炭にちょうどいいくらいの幹の太さになるのだそうだ。

 海岸線に広がるウバメガシ林も適度な伐採を行うことで、より強くなるのではとも言う。

 どうなのだろう。確かに見渡せば人工林とその伐採跡ばかり目につく確かに目を上げれば人工林ばかりが目につく。

 ただ、杉や檜のために弁解もしておきたい。「各駅停車 全国歴史散歩 大分県」(大分合同新聞社編 河出書房新社)がある。大正9(1920)年に開業した「直見・直川」の両駅も紹介されている。

 そこに「(この地域は)杉や檜が多いが、これらの植林は亨保(1716-36年)のころから佐伯藩の手で始められたといわれ、現在でも直見杉の名で知られる。木炭や紙の製造も奨励され、藩営のかまや御紙番所もあった」などと書かれている。

 もともと杉や檜は多かったのだが、戦後の物不足が杉などの植林に拍車をかけ、結果としてバランスを失したとみることはできそうだ

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