廃校巡り③~最勝海小

「最勝海」を「にいなめ」と読めるのは地元の人か、博学な人 「最勝海」。これを「にいなめ」と読む。「最勝海幼稚園」「最勝海小学校」「最勝海中学校」があった蒲戸地区は四浦半島の突端に近い。海沿いの道をどこまで行けばいいのか。「紺碧の海に奇岩がそそり立つ。その風景は『海の耶馬渓』と呼ばれる」などと資料にある半ばおっかなびっくりの気分でクルマを走らせ続けると、海に突き出た岩があった(写真は蒲戸地区からの帰りに撮影)。「三ッ石」と呼ばれる名所らしい。ここは旧上浦町(現佐伯市上浦)である。

隣り合った最勝海小学校と中学校。 案内板の矢印の方向に歩くと、小学校と中学校の校門が見えた。いずれも1996(平成8)年度末に閉校となった。閉校から20年近くが経過しようとしている。

小学校の校舎は傷み、閉校から20年近い月日の経過を実感させる

 だが、小学校の校舎と中学の校舎では状態が違う。小学校校舎は20年近い時の流れを感じさせる。これに対し、中学校の校舎はそれほど古さを感じさせない。近づいてみると「蒲戸生活支援ハウス」という看板があった。

 中学校の校舎は介護関係の施設として使われているようだ中学校の校舎はデイサービスの施設として使われているようだ。校舎の何が違うのか。中学校の鉄筋2階建ての校舎は1981(昭和56)年に完成した。小学校の校舎はこれより随分と前にできたらしい。

 築後15年で閉校となったわけで、もったいないから再利用をとなったのは想像に難くない。

 一方、傷みが激しくなった小学校校舎は本年度中に解体される。カラスがいたので写真を撮ってみると、校舎の前に二つの碑があった雑草が生えた校庭を2羽のカラスが散歩していた。何気なくレンズを向けて写真を撮った。後で見てみると、校舎の前に二つの碑があるのに気づいた。写真を拡大して左側を見ると「開校百周年」とあった。右側は「文部大臣」「受賞記念」の文字が読み取れる。

 佐伯市立図書館で昔の「町報 かみうら」をめくって行くと、1974(昭和49)11月1日の第160号に「最勝海小 体育づくり 文部大臣賞受賞」の記事があった。

 「最勝海小学校(高畠一郎校長)では、かねてより『体力づくり』に力を入れ、過去三カ年の努力がみとめられて今度、文部大臣賞を受賞しました。田中進校長(故人)の時に、県指定の体育研究校に指定され……」とあった。

 これを記念したものである可能性が高い。

 ちなみに「町報 かみうら」第160号には「電話の説明会 11月12日から14日まで開催」との案内があった。新しく電話を引くための説明会のようだ。そうそう昔は固定電話を引くために随分と時間がかかったことを思い出す。

 小学校の校歌が刻まれた記念碑はまだ新しかった小学校の校舎は古ぼけてしまったが、校歌を刻んだ記念碑はまだ新しい感じだった。20年近い歳月を感じさせない。それが印象的だった。

 ところで、最勝海をなぜ「にいなめ」と呼ぶのか。手元には、6月3日の佐伯支局長日誌「直川白炭~その②」でも紹介した「各駅停車 歴史散歩 大分県」(大分合同新聞社編 河出書房新社)だけしかない。

 それによると「最勝海浦の名もまた『豊後風土記』の記述に由来する」とある。最勝海藻をホツメと読んだのは風土記に「保都米」という読解がついているためだが、ある本でこれを「你那米」と誤写した。この本ではホツメがニイナメになった。

 最勝海浦は1875(明治8)年に蒲戸浦、長田浦、福泊浦、夏井浦が統合されてできたが、その時、誤った本に基づいて最勝海に「ニイナメ」の読みを付けたので難読地名になった。

 「各駅停車 全国歴史散歩」は地名の由来をそう紹介している。別の説もあるかもしれない。今の段階では調べが足りていない。

 

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