ホノルルと友情都市宣言~戦後71年の夏①

友好の証しとして大入島にカンガルー広場が整備されたと説明文があった 4日は佐伯市長の定例記者会見があった。主なテーマは二つ。一つは「祖母傾ユネスコエコパーク」について(6月17日付佐伯支局長日誌「藤河内渓谷で迷い人に」で紹介)。もう一つはオーストラリアのグラッドストン市との姉妹都市締結20周年記念事業について。ここでハワイ・ホノルル市との友情都市宣言が話題になった。

 佐伯市がホノルル市と姉妹都市締結を目指していた時期があった。それからどうなったのか。そんな趣旨の質問だったが、不勉強でホノルルとの関係は知らなかった。ただ、今は締結に向けた具体的な動きは何もないという。

 なぜ、佐伯とホノルルなのか。太平洋戦争の端緒となった真珠湾攻撃と関係がある。連合艦隊はハワイ真珠湾攻撃に先立ち、1945(昭和16)年11月に佐伯湾で連合艦隊の大規模な演習を行ったという(「1月の統一訓練」を「11月の大規模な演習」と差し替え)

 追記:「写真集真珠湾攻撃」(KKベストセラーズ)には「各軍港で臨戦準備を終えた機動部隊の諸艦は空母加賀、戦艦比叡、霧島など一部の艦を除き、11月16日に佐伯港に集合、その日出港した」とある。ゆえに佐伯が真珠湾攻撃の出撃の地というわけだ。

 佐伯には旧海軍の基地があった。

 話はさらにさかのぼる。1931(昭和6)年2月、海軍省が九州東海岸に航空隊を設置することを決定し、佐伯はその有力候補地であり、地元も誘致運動に力を入れた。結果、同年8月に佐伯海軍航空隊の設置が決まったのだそうだ。

 市内中心部に近い濃霞山。周辺には造船メーカーの工場が 以来、女島沖、長島一帯や濃霞(のうか)山周辺までの約40万坪(約132ha)の広大な土地が海軍航空隊の用地として整備された。そして、1934(昭和9)年2月に佐伯海軍航空隊が正式に開隊した。手元にあった資料にそうある。

 どんな経緯から両市の間で姉妹都市締結の話が出てきたのか。支局の書棚に詰め込まれたさまざまな資料の中に一冊のファイルがあった。その中に一枚の書類があった。タイトルは「ホノルル市との交流への経過」。始まりは1997(平成9)年10月だった。

 その時「ハワイ退役軍人会から佐伯市へ『ネムの木』の苗木4本と『オヒア』の苗木2本の贈呈があった。(広島市にて)」とある。

 さらに2年後の10月、ハワイ友好交流団体が佐伯市を訪問。大入島の海人夏館にて歓迎会と平和記念館横に記念植樹が行われた。

 ここらあたりから友好都市、姉妹都市への動きが本格化してきたようだ。2003(平成15)年に入ると佐伯市とホノルル市側の書簡の交換が頻繁となり、同年12月8日、真珠湾攻撃から62年後、佐伯市とホノルル市は現地ホノルルで「平和友好交流協定書」に調印した。

 当時の新聞の記事があった。見出しは「佐伯―ホノルル、友情都市」「平和協定書に調印」「両市長『世界に友好の範示す』」。

 支局に残っていたファイルの中には当時の「友情都市宣言」文も残されていた。「日本国大分県佐伯市民及びアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市民は、友情都市協定に合意し、友情都市の提携を確立する。これを永く記録し、これを実践するためにここにその宣言を記す」。

 具体的には何をするのか。「両市はビジネス、経済、観光、文化、スポーツ、教育、技術、国際協力等各種分野で相互に協力していく」。

 佐伯市は中国の邯鄲市と友好都市を締結し、豪グラッドストン市と姉妹都市を締結しており、ホノルル市とも関係強化が図られるはずだった。しかし、残念ながら、現時点まで姉妹都市とはなっていない。

 グラッドストン市との姉妹都市締結20周年記念事業は、佐伯市長らによる現地訪問である。そんな話から随分昔の話になってしまった。

 この時期は毎年、過去の戦争について立ち止まって考える時期である。支局長日誌でもこれを皮切りに「戦後71年の夏」に取り上げるべき課題を探っていきたい。

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