戦後70年と何が違うか

 戦後70年と71年は何が違うか。新聞・テレビの扱いが違う。昨夏の喧噪(けんそう)が嘘のようだ。連日のように「戦後70年」の文字が新聞紙面に躍っていたのに。今、テレビをつければリオ五輪の話題が目白押しだ。1年でこんなにも変わるのか。何だかキツネにつままれたような気分になる。

 「やわらぎ」の展示品の解説資料と入場券佐伯市平和祈念館やわらぎで特別展「原爆パネルと収蔵資料展」が開かれている。普段は観覧券が個人300円だが、特別展だけ見る場合は入場無料。2階研修室で開かれている特別展を見るために階段を上がっていった。

 2階研修室は大きな部屋ではない。そこに30枚のパネルが反時計回りで見ていくように展示されていた。その入り口には制作・日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)と書いてある。

 日本被団協が販売している「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」の説明資料そこで日本被団協のホームページを見ると、特別展にあったものが見つかった。「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」。佐伯市はこれを購入して展示している。

 日本被団協のホームページには「被爆から67年経た今日の時点に立って、被爆者が心を込めて企画編集しました。ぜひ、この新しい『原爆と人間』を、あらゆる地域で、より多くの人に見てもらい、地球上から核兵器をなくすための世論が広がっていくことを願っています」と、その発行の狙いが書かれている。

 特別展は原爆パネルだけではなく、やわらぎが昨年度に寄贈を受け、未展示の収蔵品も公開している。軍服や軍帽、軍刀、襟章、ゲートルなどがある。これも戦争の現実である。

 かつて佐伯は軍都だった。7月4日の佐伯支局長日誌「ホノルルと友情都市宣言~戦後71年の夏①」で少し書いた。1931(昭和6)年に佐伯海軍航空隊の設置が決まった。

 以来、佐伯市の女島沖、長島一帯や濃霞山(のうかざん)周辺までの約40万坪(約132ha)の広大な土地が海軍航空隊の用地として整備された。そして34(同9)年2月に佐伯海軍航空隊が正式に開隊した。

 佐伯海軍航空隊兵舎跡地に建てられた平和会館やわらぎ 平和祈念館やわらぎは、旧海軍の広大な土地の一角に97(平成9)年に開館した。

 祈念館開設の目的として、展示解説書には「軍都佐伯の歴史から、世界に大きな傷跡を残した先の大戦について検証します。そして平和な世界を築くため、ひとりひとりができることを考える場として活用していただくことを願ってます」と書いてある。

「やわらぎ」の隣にある「連合艦隊機動部隊 真珠湾攻撃発進之地」の碑 やわらぎの建物の横には「連合艦隊機動部隊 真珠湾攻撃発進之地」と書かれた大きな石碑がある。

 7月4日の佐伯支局長日誌では、各軍港で臨戦準備を終えた機動部隊の諸艦船は一部を除き、45(昭和16)11月16日に佐伯港に集合、その日出発した。故に佐伯が真珠湾攻撃の出撃の地である、との話を紹介した。

 軍都としての歴史の一コマである。緒戦に勝利した日本はその後、徐々に劣勢に立たされていく。そして、最後は塗炭の苦しみを受ける人々を生んでしまった。せめて毎年の夏ぐらい真摯に過去の歴史に向き合うべきではないか。

 

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