お地蔵さんはどこに

 タイトルを「『大分の空襲』を読む(その2)」としても良かった。前日に続き、今日も一部を引用してみたい。城山の麓にある養賢寺は大きなお寺である 「養賢寺の地蔵尊」と見出しがついた文章があった。空襲で犠牲になった家族の話である。そこに書かれた地蔵尊を探しにいったのだが、結論を言えば、よく分からなかった。

 文章は「昭和20年4月26日、佐伯航空隊を襲ったB29編隊の雲上攻撃で、即死者28名を出した民間人の慰霊碑が、養賢寺の境内にひっそりと祭られている」と始まっている。

 「佐伯市で、(防空)壕に避難していた市民たち28人(一説では40人)が、B29の雲上盲爆で、その一弾が斜めに壕底をすくって下から噴き上げ、一挙に即死するという惨事が起きたのは4月26日の朝だった」

 続いて一人の小学校長の体験談になる。養賢寺の近くに自宅があった。当時校長は住んでおらず、姉夫婦と校長の二女、長男の4人が暮らしていた。

 校長は鶴見村(現佐伯市鶴見)に赴任していたが、当日は佐伯市で会議があり、市内に船で向かおうとしていた。「すると、今日もまた編隊音が聞こえてくる。振り仰いでも厚雲が重なって、どっちの方向に飛んでいるのか見当もつかない」。「『また、航空隊かな』と思った」が、港に着くと「警防隊員の一人が待ち構えていたかのように近づいてきた」。

 「『とにかく、家に帰って一度確かめてください』とカバンをひったくって先に立つ様子がふに落ちなかった。自宅といっても(港から)2kmはある。道々、団員は『先生、いいですか、しっかりしてくださいよ。悪いが、お姉さん夫婦に間違いありません』」などと言う。

 現場に着いてみると「義兄は腸をえぐられ、姉には首がなかった」。二女は「わが子ながら見極めがつかない」。幸い校長の長男は無事だったが、近所の家は跡形もなく、家族全員が亡くなった家もあった。

 校長の体験談に続いて、文章は最後に地蔵尊の話を紹介している。「(空襲の)現場には、町人の手で小さな地蔵尊がまつられた。そのうち、佐伯電話局(現NTT西日本佐伯ビル)が建つことになって地蔵尊は養賢寺の一隅の移された」とあり、「養賢寺の地蔵尊」と説明書きがある小さな写真が添えられている。

 さて、この地蔵尊は今どこにあるのだろう。養賢寺の墓所の一角にお堂があった養賢寺の周辺を歩いて、路地に入ったり、出たりしているうちに小さなお堂を見つけた。たまたまお堂の前にいた人に「ここら辺にお地蔵さんが」と言うと、「ここ」との返事。中に入ると、確かにお地蔵さんがいた。

 とりあえず中に入り、線香に火を付けて、ゆっくりと手を合わせた。しかし、どうも違う。地蔵尊に手を合わせたが、大分の空襲にある写真の地蔵尊とは違うようだ「大分の空襲」にある写真の地蔵尊はもっと小さかった。空襲の犠牲者を悼み、冥福を祈るためにまつられた地蔵尊ではなさそうだ。

 説明も何もないので分からない。もう忘れ去られた出来事なのだろうか。厚い雲の上から標的を見定めないまま爆弾を投下し、市民、非戦闘員が犠牲になった。痛ましい話である。どこかに手がかりとなる資料はないか探してみる必要があると思う。

 

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