丸干しと一村一品運動

 有名人などが亡くなると親しかった人たちの話を集めることがある。それぞれの立場で故人の業績、人柄、逸話などを語ってもらう。佐伯市上浦にあるマリノポリス記念公園前大分県知事の平松守彦さんが亡くなって親交があった人などの話をまとめることになった。そこで「県南では誰がいいか」と考えた。平松知事と言えば「一村一品運動」だが、県南に限れば「マリノポリス(海洋レジャー都市)構想」があった。だが、マリノポリスは成功とは言い難い。「やっぱり丸干しだな」と思って米水津水産加工協同組合に電話を入れた。

 米水津村(よのうづ、現佐伯市米水津)の一村一品は「サンクイーン」「とうじんぼし(丸干し)」。サンクイーンは柑橘類で一時、温州ミカンに代わる有望品種と期待されたが、今はその名前は聞かない。一方、丸干しは平松さんと歩調を合わせるように全国ブランドに成長していった。

 ※米水津の丸干し、干物については4月19日付佐伯支局長日誌「人生いろいろ 干物もいろいろ」で紹介しています。

 組合に電話を入れると「組合長と話を」との返事。組合長と連絡をとると、そんな話ができるとすれば自分(組合長)より上の世代だろうということで、高橋水産などの名前が挙がった。

 高橋水産に電話すると代表取締役の高橋治人さんは出張先から戻る途中という。あらためて昼過ぎに連絡し、話を聞きに行くことにした。

 佐伯市中心部からクルマで40分ぐらいか。高橋水産に行くと、高橋さんが本を片手に待っていた。そして、高橋さんから借りた平松前知事の著作貸していただいたのが右の3冊である。一番右の「一村一品のすすめ」は1982(昭和57)年4月発行。平松さんが大分県知事に初当選したのが、その3年前の4月。1期目の最後の1年にさしかかったところだ。

 真ん中の「地方試練の時代」は86(同61)年9月の発行で2期目。左の「わたしの地域おこし」は93(平成5)年11月の発行だから知事として4期目の時期にあたる。平松さんはその後5期、6期と続け2003(平成15)年に退任した。

 あらためて読んでみると「一村一品運動」の背景が思い出される。2度の石油危機(オイルショック)を経て、日本経済は高度成長期から低成長期へ完全に移行した。結果、何が起きるのか。

 平松さんは以下のように考えた。

 安い石油を前提にした大量生産、大量消費型の経済が見直される。どんどん作って売る時代ではなくなるから企業誘致も難しくなるし、「新産業都市」のような大規模プロジェクトはもうなくなる。

 企業が来ないのなら、自分たちで産業を興すしかない。身の回りにある物を特産品に育てる。一次産業から一・五次産業へ高度化し、付加価値を高める。身の丈にあった産業の育成が鍵になる。

 高度成長期に一方的に若者を吸い取られていた東京と地方の関係にも変化が出ている。東京一極集中が緩和され、むしろ東京の人口が減り、地方で人口が増える地域が出てきた。

 そして、人口が増えているのは「村づくり」に真剣に取り組んでいる地域である。今こそ過疎から脱却の好機であり、やる気がある市町村には県が全面的に後押しする。「県(天)は自ら助ける者を助く」との迷(名)言があったそうだ。

 低成長時代を迎えて新たな地域づくり戦略が必要だった。一村一品運動は地域の強み、個性を生かした産業を生み出すことで、雇用を創出し、若者の定住を進める戦略であった。

 社会、経済構造の変化とともに、もう一つ、平松さんが挙げたのが大分県民の気質。大分県は気候的に恵まれており、ほどほどにやっていれば、なんとか生活できるという悪い習慣が身についていて、何かというと「ヨダキー」(方言でおっくう、たいぎなどの意)となる。これを変えていきたいとの思いもあった。

 平松さんが「一村一品運動」を提唱したのは初当選を果たした年の11月末。町村長との県政振興懇話会での席上で「自分の町、自分の村の顔となる特産品で、これなら全国的な評価にも耐えるという産品を掘り起こそう」などと呼びかけた。

 だが、反応は鈍かった。「翌日の新聞でも、懇話会の記事の中に『一村一品運動』についてはなにも触れられていなかった」と著書にある。

 そこで、手っ取り早く人々に理解されるにはどうするか。具体的なモデルを示せばいい。

 平松さんは著書で繰り返し「三つのP」の重要性を説いている。一つは「Planning(計画)」、もう一つは「Performance(実行)」、この二つに加える形で「Presentation(提示・説明の仕方)」。「あなたたちのやっていることが一村一品だ」と平松さんに言われた高橋さんはモデルとして県内外で講演することになり、一村一品の「伝道師」の一人となった。

 高橋さんたちの取り組みは平松さんの著書「わたしの地域おこし」の中の「花ひらく『一村一品』」で紹介されている。

 見出しは「丸干しイワシを追っかけろ―米水津村」。地元で捕れたイワシだけを使っていては一年を通じて丸干し生産ができない。そこで暖流に乗って北上するイワシを追ってイワシを確保。このほか、さまざまな工夫をして全国ブランド化した。

 一村一品運動は高度成長から低成長への経済構造転換に地域、地方として対応するために考え出されたものだった。ここに価値があると思う。

 今や日本経済は低成長から超低成長、停滞の時代に入っている。必要なのは、こうした厳しい状況を見据えて地域や経済のあり方を考えることだ。しかし、国も地方自治体も今そこにある危機に正面から向き合っていない感じがする。であるならば、平松さんの時代よりも後退しているということになる。

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