一村一品運動~その②

 津久見扇子踊りの歌詞を津久見市役所秘書課広報担当からFAXで送ってもらった。20日の踊り会場で聞いた「三勝(お民伴三)」「津久見おんど」の歌詞も一緒にお願いした。

 津久見扇子踊りの歌詞は難しい。
「頃は人皇 二十と七よ」「時の大臣の納言の公に」「玉津姫とて一人の娘」「三輪のみ神の御告をうけて」「豊の国へと御下りなされ」「真名の長者の玉田の里に」「尋ねなされて契りを結ぶ」と続く。この後さらに2人の人物が登場し、物語が進んでいく

  1985(昭和60)年3月発行の「大分県の民謡」(大分県文化財報告第68輯)の津久見扇子踊りはカッコ書きで炭焼小五郎口説とある。

 炭焼小五郎は後に歌詞にある真名の(真名野)長者となる。津久見扇子踊りの歌詞は炭焼小五郎とその家族の物語ということになる。

 だが、ここでの話のポイントは炭焼小五郎ではない。「大分県の民謡」の方にある。

  民謡についてもう少し調べようと思って佐伯市立佐伯図書館に行った。見つけたのが「大分県の民謡」である。1975(昭和50)年7月に出版された「ふるさとのうた」(加藤正人著、大分合同新聞社発行)という本もあった。

 「大分県の民謡」は県教育庁文化課が国の補助を受けて2年間かけて県内全域を調査し、約700曲を録音、うち671曲を掲載した。この報告書を読み始めると次の文章が目に入った。

 「『一村一品』『一村一謡』『ふるさとづくり』などが強調される現在では(民謡は)一段の盛行を見るに至った」

 「一村一謡」という言葉は初耳だった。当時、そんな言葉が使われていたのだ。

 事務所に戻って前大分県知事の平松守彦さんの著書をもう一度開いてみると「一村一文化」「一村一スポーツ」「一市町村一朝市」「一村一風」などとある。「一人逸品」もあった。

 「一村一風」については「わたしの地域おこし」(平松守彦著、NHK出版発行)の最後に説明がある。「会社には社風、学校には校風、家には家風があり、それぞれの伝統や誇りがある。同じように町や村にも風格があっていい。ほかにない独特の風格をつくってほしい」。

 そんな意味を込めて1993(平成5)年から提唱していると著書にあった。

 何でも「一村○○」はどう考えても安易すぎる。結局「一村一品」以外は人々の口の端に上ることはなくなった。なぜだろうか。

 「わたしの地域おこし」には次のような言葉がある。「先取りをしていく政策を実現するためには、自分自身が積極的に現場に出かけ、現地の人の話を聞きながら、政策に取り入れていく姿勢が大切だということである。机上の空論ではいけない」

 現場の課題を解決するための政策。現場のニーズに合ったからこそ一村一品運動は賛同者を増やし、一気に広がったのではないか。

 平松さんは一村一品運動が時間がかかるものだと承知していた。1986(昭和61)年に出版した「地方試練の時代」の最後にある。

 「全国に誇れるような商品をつくるまでには、その完成までに五年、十年という長い期間が必要であり、この特産品づくりを通しての地域づくりは、これ以上の長い取り組みが必要となってくる」

 「これは地域住民の血のにじむような努力と創意工夫がなければ実現できないことであるが、行政においても(略)側面的、精神的な応援を行いたいと考えている」

 一村一品運動を通じた地域づくり、地域活性化はあくまで地域が主役であり、県はサポーター(支援者)であったはずだった。

 一村一品運動は長期戦、主役は地域。この原則は最後まで貫かれたのだろうか。

 平松さんには次のような考え方もあった。「わたしの地域おこし」にある。

 地方からの情報発信について述べている。そのポイントは三つ。「第一に『しかない』文化の創造」。「第二に『繰り返す』こと。私は『継続は力』とよく言っている。ただし、同じことの単純な繰り返しでは飽きられる。常に増幅し、共鳴現象を起こさせること、説得力と普遍性を持った繰り返しが大事である」

 さらに続けて「一村一品運動とはカボスやシイタケや焼酎を作ることではない。一村一品運動を徹底すればするほど一村一文化、一村一スポーツへと展開していくことになった」

 平松さんについて多くを知らない私にとって「説得力と普遍性を持った繰り返し」などの抽象的な表現を正確に理解するのは難しい。

 ただ、常に情報発信に工夫を施せと言われていることぐらいは分かる。しかし、現場が一朝一夕に変わるわけはない。平松さんはそれも承知していた。それでも何か情報を発信し続けなければならない。それがいつのまにか世間の耳目を集めるためのイベントづくり、知事のスタンドプレーと県民の目に映るようになったのではないか。知事と県民の溝が広がった。

 事情を知らない人間のちょっとした推論にすぎない。では、なぜ何も知らない素人がこんなことを書いたか。新聞各紙の報道が通り一遍だなと感じたからだ。なぜ、もっと深い分析、解説をしないか不思議に思った。平松さんの業績を正しく理解するためにも必要なことだ。

「一村一品運動~その②」への1件のフィードバック

  1. 平松さんと言えば1993年早春賦を歌う会。そして分権文化論の音楽風土考も一読の価値あり。http://www.coara.or.jp/hiramatsu/bunken/bunkaron/32.htm
    吉丸も久留島も平松も大分中学の文化系人脈なんじゃないでしょうか。

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