マレガ神父を知らない

 1日の臼杵市長の定例会見で出された資料は「マレガ・プロジェクト(協定・バチカン訪問)」「9月定例市議会(議案・補正予算)」「姉妹都市スリランカ・キャンディ市交流事業」「秋の食フェス・ほっとさんLINEスタンプ第2弾発売」などだった。

 「マレガ・プロジェクト」「マリオ・マレガ神父」。何のことか、誰のことか分からない。ただ、市の説明で興味が湧いたところがあった。

 「マレガ・プロジェクト」とは何か。マレガ神父が戦前に大分県などで収集し、戦後、バチカン教皇庁に送った史料群「マリオ・マレガ神父収集史料」が5年前にバチカン図書館で発見された。その史料の調査・整理・保存・デジタル化を目的とした国際共同研究プロジェクトだそうだ。

 それと臼杵市と何の関係があるのか。史料は約1万4千点あり、江戸時代初期から近代に及んでいる。江戸時代のキリシタン弾圧の史料が中心で、「90%以上が臼杵藩の史料」という指摘があるそうだ。

 「戦国時代にキリスト教文化全盛を誇った臼杵で、宗教統制システムの成立、維持管理の歴史が通史的に明らかになる初めての史料」として価値が高いという。マレガ史料と地元の臼杵藩政史料を突きあわせていくことで新たな発見があるかもしれないという。

 ちょっと前に訪れた下藤地区キリシタン墓地例えばと挙げたのが「下藤キリシタン墓地と関連する遺跡群が、どのような経緯で、誰が造ったのか、具体的経過が分かる可能性が高い」とする。

村長格の武士がキリシタンとなった村人のために造った墓地との説明板があった下藤地区キリシタン墓地といえば先週訪れたばかりだ。現地には下藤村の地侍(村長格の武士)でキリシタンであった「リアン(洗礼名)」が、キリシタンとなった村人のために造った墓地と考えられるとの説明板があった。

 倒れたままの墓石を見ながら、何が起きたのか、もう少し詳しく知りたいとも思った。マレガ・プロジェクトの進展で詳細が明らかになればいいなと市の説明を聞きながら素直に思った。

 市は、国際共同研究プロジェクトに参加する大学共同利用機関法人の人間文化研究機構と9日に研究協力協定を結ぶ。来月には市長がバチカンに赴き、市と同機構、バチカン図書館の3者による画像利用覚書を結ぶ。このため、補正予算案に市長の旅費が計上された。

 市には当然、マレガ神父の史料の研究が進むにつれて「臼杵」の知名度が国際的に上がっていくとの期待がある。「臼杵市は史跡・史料の両面からキリシタン史を語れる唯一の地域であり、文化振興、観光(宗教ツーリズム)への多大な影響が考えられる」と市の記者会見用の説明資料にある。資料はさらに「マレガ史料・臼杵藩政史料の『世界記憶遺産』への道を開くことにつながる」とも書いている。

 そうなのだろう。個人的には8月26日付佐伯支局長日誌「キリシタンと南蛮文化」で書いたようにキリスト教の伝来と隆盛、迫害と弾圧の歴史、南蛮文化の栄華と衰退が分かるような周遊ルートがあればいいと思っている。それは臼杵市という範囲にはとどまらない。

 さて、マレガ神父とは何者か。国文学研究資料館(東京)のホームページによると、マレガ神父は1902(明治35)年、イタリア北東部フリウリ地方ゴリツィアに生まれた。

 サレジオ大学神学部を卒業後、1929(昭和4)年10月に、ヴェネツィア港を出港、12月半ばに九州に到着し、神学校で教えた。

 32(同7)年からは大分教会や臼杵教会で司牧にあたり、翌年、海星幼稚園を設立したとある。「信仰の根本」「カトリックに答える」などを日本語で出版とあるから、優れた語学の才があったのだろう。

 42(昭和17)年に「豊後切支丹史料」を刊行とある。臼杵市立臼杵図書館にあるだろうか。

 別に歴史に詳しいわけでも特別興味があるわけでもないが、下藤地区キリシタン墓地に行ったのも何かの縁。もう少し調べてみたいと思う。

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