現場にいる 現場を見る

 田んぼの中の道路沿いに並ぶ案山子たち 案山子(かかし)たちは臼杵市中心部から国宝臼杵石仏に向かう道路のそばに立っていた。台風16号の影響が懸念されたが、19日の敬老の日までは展示が続けられそうだ。

 現場に行く。そこで自分が見たことや聞いたことを記事にする。記者の基本といえる。ただ、この案山子のようにすぐそばに近づければいいが、できないものも多い。例えば原発である。事故があれば見に行くことはできない。事故に肉薄するには事前に調べ、勉強しておくしかなさそうだ。

 「現場にいる」「現場を見る」。その大切さをあらためて思ったのは懐かしい人からの郵便がきっかけだった。

 自費出版したという一冊の本が届いた先週のことである。少し膨らんだ封筒が郵便受けに入っていた。中には一冊の本。タイトルは「誰もが歴史を紡いでいる」。著者は高田正基さん。添えられた短い手紙には「私が北海道新聞社に勤務していたときに紙面などに掲載されたコラムを、道新出版センターのご協力を得て自費出版いたしました」とあった。

 高田さんとは四半世紀ほど前に東京・霞が関の農水省の記者クラブで一緒になった。当時、道新と弊紙は記者クラブでの席が背中合わせで、高田さんにはお世話になった。

 主に北海道新聞の論説委員(2005~08年)、帯広報道部長(08~10年)として紙面や帯広支社ホームページに書いたコラムとある。ざっと数えると100本とちょっと。それが第1章「へっぴり腰の記」、第2章「母の歌、友の歌」、第3章「立て、ランソの兵よ!」、第4章「『あなたは…』という問い」に分けられて掲載されている。

 書名の「誰もが歴史を紡いでいる」は「初めて『風』に書いたコラムの見出しから採った。広く知られることはなくても、スポットライトを浴びることはなくても、地に足をつけてきちんと生きる一人ひとりこそが歴史の主役なのだという思いを込めた」とある。

 風とは北海道新聞朝刊の「風 論説委員室から」のことだという。各章の見出しも、そこに収められたコラムの一つから採られている。

 「青い南の海を見下ろすように、その歌碑は立っている」

 「母の歌、友の歌」はこう書き出す。

 〈宇つり香のきゆるが惜しと年ごろを洗はですぎし吾子が衣よ〉

 「沖縄県糸満市の摩文仁の丘。青森県出身の戦没者を慰霊する『みちのくの塔』に刻まれた歌だ。戦争で死んだ息子を思い続ける母親の心情が切ない。あるかなしかの息子の移り香。いや、香りはとうに消えているのかもしれない。それでも残された衣類を洗うことができない」とコラムは続く。

 まずは「現場に立つ」「現場を見る」。高田さんのコラムを読んでいると、記者の基本を貫こうとしている姿勢が感じられる。

 とはいえ、やたらと現場に行ってもだめかもしれない。見たこと、聞いたことについて考えることが重要だ。

 かかし祭りに宝船があった。各地のさまざまな試みの中に未来にくけたヒント(宝)が眠っているかもしれない世の中の変化の兆しはまず現場に現れると思っている。少子高齢化、人口減少。地方は課題が山積している。だからと言って暗い顔をして将来を悲観しているばかりではない。各地でさまざまな試みが行われている。その中に未来に向けた多くのヒントが含まれているかもしれない。

 それをきちんとキャッチして情報発信できていれば記者としての職務は十分に果たしたといえる。しかし、この日誌を含めてそれができているかと聞かれれば、首を横に振るしかない。知恵が浅いのか。目が節穴なのか。高田さんの本を読みながら、あらためて「現場にいる」ことの意味をかみしめなければならないと思った。

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