スリランカの特別授業

 臼杵市の中学校でスリランカについての特別授業があったスリランカから来日し、別府大学大学院で日本語などを学ぶスチッタ・グナセカラさんを講師に招き、スリランカについて学ぶ特別授業が臼杵市立西中学校であった。臼杵市とスリランカのキャンディ市が国際友好都市となって来年で50周年。その記念行事の一環として実施された。

 臼杵市とスリランカにはどんな交流の歴史があるのか。1992(平成4)年に発行された臼杵市史を見たが、詳しい経緯などは書かれていなかった(あるいは見落としたか)。

 仕方がないので臼杵市史(下)の巻末にある「臼杵市歴史年表」をたどってみることにした。すると、1964(昭和39)年5月30日にM・M・マハルーフ駐日セイロン(現スリランカ)大使夫妻臼杵石仏を見学とあった。

 それから3年後の1967(昭和42)年5月23日。セイロン(現スリランカ)国キャンディ市と国際友好姉妹都市調印とある。

 なぜ、1964年に大使夫妻が臼杵石仏を訪れたのかは手元にある資料では分からない。ただ、これが姉妹都市交流のきっかけになっただろうことは想像に難くない。

 歴史年表をさらに読んでいくと、1980(昭和55)年11月5日、姉妹都市キャンディ市親善訪問(新名市長以下21名)とある。翌81(同56)年8月18日には駐日スリランカ大使スサンタ・デ・アルビス夫妻来臼(臼杵市訪問)している。

 この後、1991(平成3)年8月までの臼杵市史(下)の年表にはスリランカもキャンディ市も登場してこなかった。臼杵市とキャンディ市の関係は薄れていったのか。その話は後でするとして、再び中学校での授業に戻りたい。

 授業のテーマが書かれたホワイトボードこの日の授業のテーマは黒板前のホワイトボードに書いてあった。1はスチッタ先生の出身国(スリランカ)と臼杵の関係を知る。2はスリランカの人々が毎日食べるものを試食。3の空欄は「カレー」で、カレーを毎日食べる理由を考える。4で今日の授業のまとめとなる。

 2の毎日食べるものを試食とは、当然スリランカの本場のカレーの試食である。それを再現した一品を用意し、ほんの少量だが、生徒たちにその味と辛さを経験させた。

 スリランカカレーに入るスパイスやココナツミルクを使った給食のカレーこの授業後の給食には、スリランカカレーをベースにして、もう少し食べやすいように学校給食センターで工夫を重ねたカレーが出された。スリランカで食べられている辛みの少ない幼児用のカレーをさらにアレンジし、スリランカの代表的なスパイスやココナツミルクも使っているという。

 スチッタ先生の授業の中でスリランカの人口などの説明もあった。人口は約2000万人で8割が仏教徒。45分間の授業ではもう少し突っ込んだ説明はできない。

 外務省のホームページにスリランカについての説明があった。「スリランカに住むシンハラ人とタミル人」。「スリランカはシンハラ人(74%、主に仏教)やタミル人(18%、主にヒンドゥー教)、スリランカ・ムーア人など約2000万人が住む多民族国家です」と書かれている。

 そして、「民族対立に火を付けた英植民地の分割統治」とある。「英国は〝少数派〟のタミル人を行政府官吏に重用して〝多数派〟のシンハラ人を統治させる『分割統治』を行いました」。これが民族間の確執へと発展する火だねとなった。

 スリランカは1948(昭和23)年に独立。1956(昭和31)年の選挙で圧勝したバンダラナイケ氏は、急進的なシンハラ人優遇政策を採用し、タミルとシンハラで大規模な衝突が頻発するようになった。民族対立が深刻化し、やがて内戦に至った。

 外務省ホームページにあったスリランカ内戦の歴史外務省のホームページに「民族問題・内戦の経緯」と書かれた年表があった。年表によると、1983(昭和58)年に「本格的内戦に発展」。以後戦闘は26年に及び2009(平成21)年にようやく政府が内戦の終結を宣言した。

「広報うすき」にキャンディ市民の臼杵訪問の記事が いまスリランカはどういう状況なのだろう。臼杵市とキャンディ市の交流も昨年頃から復活したようだ。「広報うすき」の昨年7月号に左の記事があった。スリランカのキャンディ市民が表敬訪問。スリランカ側に少し余裕が出てきたのだろうか。臼杵市としては来年の姉妹都市50周年に向けて交流を活発にさせようと考えている。

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