ミカンが実る遊歩道

 城山から佐伯市街地を望む。文豪国木田独歩の碑がある城山(豊後佐伯城址)に登ったのは何か月ぶりだろうか。暑さも和らぎ、ちょっと街を歩いてみようかという気分になってきた。9月28日付佐伯支局長日誌で紹介した暁嵐公園の遊歩道にも行ってみたい。散歩コースもいろいろありそうだが、町中にちょっと変わった遊歩道があった。

 「野岡緑道」と書かれた表示板は色があせていたJR佐伯駅から少し南に下った日豊線沿いの道路で「野岡緑道」と書かれた表示板を見つけた。随分と色あせており、ところどころ読みづらい。この地図で「気をつけて渡ってね」と書かれているのが4箇所あるのが分かるだろうか。

 途中で遊歩道と道路が交差する場所が4箇所ある「何だろう」と不思議に思ったが、実際に歩いてみて意味が分かった。途中で道路と交差するのだ。それが4箇所ある。左の写真の場所は通りが少ないが、幹線道路と交差している箇所もある。

 抱いている遊歩道のイメージとは少し違う。それはさておき、歩きながら、もう一つ面白いなと思ったことがあった。遊歩道にはミカンの木が多い遊歩道の両側の樹木でミカンが目立つのだ。遊歩道の入り口でも見かけたし、途中にも多い。ちょうど実りの季節を迎えているから、すぐに分かる。これも「佐伯」のシンボルなのか。

 佐伯市史を読むと、ミカンが米に次ぐ主要生産物だった時代があった。市史に1960(昭和35)年と65(同40)年の農産物粗生産額がある。それによると、60年の米の生産額は2億5900万円で全体の約39%を占めた。2位がミカンで8700万円で約13%だった。65年は米が3億8600万円で約36%、次いでミカンが1億1300万円の約11%となった。

 5年後、ミカンは養豚に抜かれて3位に後退した。

 温暖な佐伯は他の地方より1カ月早くミカンを出荷できる。早生ミカンでリードするが、11月中旬のミカンの最盛期になると本場の津久見ミカンに押されてしまう。そんなことが佐伯市史に書かれている。

 60年前の住宅地図をみると、野岡緑道のところに線路が描かれているただ、この遊歩道が造られたのはミカンで儲かった古き良き時代ではない。佐伯市立佐伯図書館で郷土資料をあれこれ開いているうちに「防衛施設周辺整備事業」「野岡緑地整備事業」と書かれたものを見つけた。整備は1986(昭和61)年度から88(同63)年度までの3カ年事業で、事業費は3億2222万円とあった。

 上の写真は60年前の住宅地図である。「駅前區(区)」の文字が見えるだろうか。そのそばに現在のJR佐伯駅がある。佐伯駅から南に少し行ったところで線路が二手に分かれている。地図の左側の線路が日豊線、右側は興国人絹引き込み線と書いてある。引き込み線の上には興国人絹パルプ佐伯工場とある。

 遊歩道の藤棚を抜けると平和祈念館やわらぎの裏に出るここには佐伯海軍航空隊があった。1945(昭和20)年の終戦後、そこに興国人絹が進出した。引き込み線は海軍時代に建設されたものではないかと思ったが、詳しい資料を今日は見つけることができなかった。

鶴谷鉄橋の向こうに見えるのが会場自衛隊佐伯基地分遣隊の施設 野岡緑道は全長1325m。約1.3kmだから歩いてもさほど時間がかからない。平和祈念館やわらぎの裏に出るともうゴールは近い。海上自衛隊佐伯基地分遣隊の施設の真裏を通って「鶴谷鉄橋」」に至ると、そこが終着点である。

 野岡緑道を歩いて、だからどうだと聞かれても困るが、途切れ途切れの歩道とミカンの木々が印象に残って、紹介してみようかと思っただけだ。秋は実り。春はミカンの白い花が遊歩道を彩るのだろう。

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