日本一早出しのビワは

放置されたハウスの中のビワの木 大型ハウスの覆いは外れ、鉄パイプの骨組みだけが残されていた。錆びた鉄が時間の経過を物語る。中にビワの木が繁っている。29日に佐伯市蒲江丸市尾浦を訪れた。狭い路地が続く住宅地を抜けて行き着いたのが、この場所。かつてこの地区が日本一早出し出荷のビワ産地を目指していたのは後で知った。

  28日の市長ふれあいトークの相手の一つが「蒲江花き生産組合」だった。大型ハウスを建てて菊の栽培を行っている。組合員は22人で年間約830万本の菊を出荷しているという。

地区のあちこちにハウスが連なる団地がある その第1、第2花き団地が丸市尾浦にあるとの話だった。他の用事で蒲江に行くついでに花き団地がどんなものか見ておこうか。そう思って大型ハウスを探すことにした。

 少し高いところから集落を眺めると、あちこちに大型ハウスが連なる団地がある。あの辺りかと検討をつけて、集落に下っていった。

他にも放置されたハウスが 上からは光を浴びて輝く大型ハウスしか見えなかった。覆いが外れて放置されたハウスは集落の中を走るうちに突き当たった。冒頭の写真と別の場所にもあった。こちらの方がビワの木の勢いが強い。ビワの大型ハウスはいつ建てられ、いつ放棄されたのだろうか。

 ネットで見ていくうちに「経営構造対策事業計画書」と題した資料が見つかった。合併前の旧蒲江町時代に農林水産省に提出したもののようだ。事業認定が平成13(2001)年度で、完了予定が平成15(2003)年度となっている。

 計画書にある農業構造の改革の基本方向は①施設園芸における担い手の育成と確保②露地みかんの荒廃園対策-の二つである。中でも重要なのが①である。

 続いて少し詳しい説明があった。当地区は花き、ハウスミカン、ハウスビワなどの施設園芸が地域農業の基幹となっている。他産業からの転職者も増えているが、既存の農地に限度があり、借地も難しい。

 そこで、近代農業のモデルとなりうる施設園芸団地を建設し、農地の集積や生産規模の拡大を図る。初期投資の軽減を目的に農協によるリース方式を導入し、整った環境のもとでの施設園芸農業を構築する-とあった。

 この事業に先立って「おおいたの花」産地拡大緊急対策事業など関連する事業が、1996(平成8)年度から連続して実施された。多くの補助金も投じられた。

 説明にあった他産業からの転職者とはどんな人か。具体的には真珠養殖など漁業からの転職で電照菊とハウスミカンに各1人、ハウスビワに2人と資料にある。

 旧蒲江町では1952(昭和27)年から真珠養殖を導入して取り組んできたが、稚母貝の変死などにより真珠の稚母貝養殖をやめ、花き栽培などに転職する人たちが増えている。資料にはこんな説明もあった。

 漁業から農業へと思い切って転身し、新たな夢を追った。しかし、現実は厳しかったようだ。ただ、たまたま目にした放置されたハウスがそういった転職組のものだったかどうかは分からない。

 集落で見た他のハウスもこの構造対策事業とは関係ないものなのかもしれない。

 ただ、29日に見た限りではビワ栽培が大成功だったとはとても思えない。日本一の早出し産地として広く認知されたとは言えないだろう。ハウスミカンはどうだろう。うまくいったのか。他の産地との競合を考えればなかなか厳しいはずだ。これに対して菊は生き残った。この差は何なのだろう。

 儲かる農業などと言われ、成功例が喧伝される度に眉につばしてしまう。失敗は成功例の何倍、何十倍あるだろうか。ハウスの鉄パイプの間から顔を出すビワの木を見ながら思った。政治家も含めて人は失敗からどれほど謙虚に教訓をくみ取っているかと。

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