11日(日)は新聞休刊日。取材しても記事を掲載する新聞(12日付)はない。ただ、大しめ縄の張り替え作業というのはどんなものか、一度見ておきたい。そんなことで佐伯市上浦の東雲(しののめ)中学校に向かった。ここで豊後二見ケ浦の大しめ縄づくりが行われていた。
大しめ縄は長さ65mで、太さは真ん中で最大40cm(長さ32mから42mまでの間)。これを3本つくる。作業の予定表によると、午前8時に開始し、午前11時に長さ37mの中心点まで編みこむ。ここから30分でさらに5m編むのだが、37~42mのセンター部分に「願い事札」を編み込んでいく。
願い事札は1枚100円で販売。買った人はこれに願い事を書いて箱に入れる。その箱から札を取り出して縄に編み込んでいくのだ。行ったときは子どもたちが札に願い事を書いていた。
豊後二見ケ浦の雄岩(高さ約17m)と雌岩(高さ約10m)の間に大しめ縄が初めてかかったのは1969(昭和44)年だそうだ。資料には上浦の野球チーム「上浦ファイターズ」が日頃の支援のお礼としてつくったのが始まりとある。
もともと、この地域では藻崎(豊後二見ケ浦)の岩にしめ縄をかけたら伊勢の二見ケ浦よりもっと素晴らしいものになるのではないか、そんな声があった。では、実際にやってみようと思い、野球チームの1人が提案。上浦観光の振興のためにチームで大しめ縄づくりに挑戦することになった。
ただ、ワラを集め、ワラを打ち、しめ縄にする作業だけでも大変だった。その上、岩の間に大しめ縄を渡すことは簡単ではなかった。
上浦ファイターズによる大しめ縄づくりは2年で終わり、当時の上浦町の行事として引き継がれることになった。大しめ縄づくりにかかる労力もお金も一つの野球チームで賄うには大きすぎたということだった。大しめ縄づくりは町の事業から商工会の事業となり、現在は豊後二見ケ浦事業実行委員会が主体となっている。
3本のしめ縄を結んで1本にする。これは午後からの作業だった。午後2時にはしめ縄づくりが終わり、神事に移る予定だったが、この日の作業は遅れ気味。30分以上予定がずれ込むことになった。
予定では午後2時半ごろから東雲中学の作業場から、そのすぐ先にある豊後二見ケ浦に大しめ縄を持って行き、雄岩と雌岩の間に架けて、午後4時には作業を終了することになっていた。
実際の作業は遅れはしたが、無事に大しめ縄の張り替えは完了した。この大しめ縄はギネスブックに掲載されているという。地域の人たちにとっては1日がかりの大作業だが、内外に誇れる一大イベントでもある。
11日の作業は以下の写真でも紹介したい。