またも〝しょうゆ戦争〟

 15日に投開票される今回の臼杵市長選のことではない。「またも〝しょうゆ戦争〟」という見出しは1991(平成3)年8月の西日本新聞朝刊の大分県版記事のものである。何の話かはこの後、当時の記事を引用しながら紹介したい。

 「フンドーキン」と「フジジン」の2大しょうゆメーカーを中心に旧野津町と合併前の旧臼杵市では政治的な対立の構図があったそうだ。そんなことは昔の話。今時、そんな企業ぐるみ選挙のようなことはあるまい。そう思っていたら、ちょっと違うようだ。いまだに亡霊が臼杵のまちをさまよっている。今さら何のための対立なのか。よそ者には理解しがたいものがある。

 25年以上前の記事はどんなものか。1991年8月4日に告示された臼杵市長選挙について書いたものだ。市長選は現職と新人の元市議会議長の戦いとなった。記事によると、昭和45(1970)年以来21年ぶりの保守同士の一騎打ちになった。

 激しい市長選を誘発した発端となったのがこの年4月に行われた県議選。臼杵市区は定数1。フンドーキン側の現職に対し、フジジンが新人を擁立し、〝しょうゆ戦争〟が起きた。結果は現職が激戦の末に勝ったのだが、話はここで終わらない。

 追記 1991年3月31日の西日本新聞朝刊の記事「大分県議選挙・激戦区を行く〈1〉」には臼杵市区が激しい選挙になったきっかけが書いてあった。それによると、現職が前の年の夏、「社業に専念したい」と引退の意向を示したことが発端だった。当時の市長らが慰留し、出馬することになったが、ならばと新人の対抗馬が出ることになった。

 問題だったのは市長が現職を推したことだ。構図的には当時の市長はフジジン系の新人を支援しなければならないはずが、反対側に回ってしまった。これがしこりとなって夏の市長選へと続く。

 市議会も〝しょうゆ戦争〟のあおりを喰って大揺れになった。保守会派がフンドーキン系とフジジン系に分裂し、フジジン系から元市議会議長が市長選に立候補することになった。

 4月の県議選での対立が8月の市長選に引き継がれ、「またも〝しょうゆ戦争〟」に見出しになったわけだ。結果はどうなったか。1万2530票対1万1609票。大激戦だった。

 今回の選挙はどうだろう。元副市長の佐藤氏にはフンドーキンが肩入れし、現職の中野氏にはフジジンの後押しがある。昔のような露骨な組織選挙などはやりようもなかろうが、かつての「しょうゆ戦争」を思わせるような動きはいかがなものか。昔を知る市民の多くも嫌な印象を抱いているのではないか。

 対立は一体誰のためで、それによって誰が恩恵を受けるのか。よそ者からすれば興ざめするばかりで臼杵のイメージが損なわれていくだけだ。

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