インクルーシブ教育?

臼杵市野津町といえば「吉四六さん」である 「インクルーシブ(inclusive)教育」「授業のユニバーサルデザイン(universal design)化」。5日に臼杵市の野津中央公民館で開かれた「第7回福祉と教育を考えるフォーラム in うすき」で初めて聞いた言葉だった。ユニバーサルデザイン(UD)の授業は何となくイメージがつかめる気がする。UDは障害者や高齢者だけでなく、誰でも使いやすいものだとすれば、授業のUD化とは生徒や児童の誰もがみんな分かりやすい授業をするということになる。

 臼杵市教育委員会学校教育課の担当者が「臼杵市の特別支援教育が目指すもの」として説明した。

 その中で授業のユニバーサルデザイン化がもう少し具体的に語られた。「特別支援の視点を取り入れた指導」で「目的は子どもの注意力の持続」と言う。

 そのために何をするか。例えばと資料にあるのが①指示は「みじかく」「はっきり」「言い換えない」②ポイントをはっきりさせ、注意をひいてからの問いかけ③黒板の端に「本日の授業の流れ」を示した見通しボードを活用④次の行動を黒板に書いたり、短冊で示したりする工夫-などだった。

 特別な支援が必要な子どもたちがそれを理由に他の子どもたちと一緒に勉強できない、学校生活を送れないといったことがないようにする。これがインクルーシブ教育の意味のようだ。

 そのために子どもたち一人一人の実情を踏まえた個別の支援計画を作り、対応していくという。

中央公民館の周辺には数多くの「吉四六さん」が 何となくは分かるが、何ともこなれてない言葉であり、教育の素人には難解である。フォーラムでは続いて、九州ルーテル学院大学人文学部心理臨床学科の三城大介教授が「こころの病と親なきあと」と題して講演した。

 三城先生は専門が精神科リハビリテーション学で、薬物依存症回復治療施設大分ダルク理事などを務めている。こちらは専門知識に乏しいので話をきちんと理解できたかは分からない。ただ、演題の「親なきあと」の問題についてはときおり新聞などで読む。

 障害を持つ子どもを持つ親は心配している。自分が死んだ後、この子はどうなるのだろうか。先々が心配で安心して死ねないということだ。

 インクルーシブは社会的包摂とも訳される。これも日本語としてはこなれてないが、社会全体で包み込み、支援するということだろうか。さまざまな障害について正しい理解に努め、それぞれできる範囲で応援する。これがインクルーシブな社会だとすれば、日本はそうなっていない。だから、「親なきあと」の自分の子どもの行く末が心配でならない。

 病気や障害に対する社会の偏見や不十分、不正確な知識が一番の問題と三城教授は考えている。深刻なのは、それが一般の人たちではなく、介護職など「対人援助職」にも見られることだという。

野津名物の菓子「うず巻き」を買って帰った インクルーシブ(inclusive)という言葉はOECD(経済協力開発機構)の資料で見た記憶がある。それにはinclusive growth(包摂的、インクルーシブな成長)と書かれていた。あらためてOECDのウェブサイトを見ると、2007(平成19)年と書かれた資料があった。

 米国の住宅バブルがはじけ、欧米を中心に金融危機の様相が深まっていた。翌年秋に米証券大手のリーマン・ブラザーズの経営破綻を機に世界経済は一気に崖っぷちに追い込まれた。世界中に失業者があふれ、巨大なバブルを生み出し、それを破裂させて世界を危機に追い込んだウォールストリートに対する庶民の怒りが爆発した。強欲資本主義に対する反省も聞かれた。

 おおざっぱに言ってこんな流れだっただろうか。そんな中でインクルーシブ経済の考え方が強調されることになった。誰もが恩恵を受けられる経済の仕組み、成長のあり方を考えなければならない、そんな気運が盛り上がった。

 今世界経済は逆方向に向かおうとしているようだ。inclusiveから排他的なexclusive(エクスクルーシブ)に。俺さえ良ければの「米国ファースト(first)」は経済の分野では潮目が完全に変わったことを象徴する言葉だと感じた。

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