廃校巡り⑤~重岡小

玄関に行くと「立ち入り禁止」の張り紙が 休校・廃校になった小学校などを訪ねてみる。そして「今」を主に写真で紹介する。佐伯支局長日誌で過去に4回やっている。ほぼ7カ月ぶりに5校目として重岡小学校を取り上げることになったが、8日に佐伯市宇目に行ったのは本当は違う目的だった。旧重岡小の近くにある「肉のみやもと」で昼飯でも食べようかと宇目まで足を伸ばしたのだった。

 ところが着いてみると食事処「ししの里」には「仕度中」の札がかかっていた。午後1時はとうに過ぎているし、もしかしたら水曜日は定休日だったかもしれない。事前に調べず行動を起こすから当て外れになることもままある。

今日は猪肉の鉄板焼きにした 思い直して宮崎県境に近い「道の駅宇目」までクルマをさらに走らせた。ここのレストランうめりあで「猪肉の鉄板焼き定食」(1300円)を注文した。これでおわかりになったと思う。なぜ「肉のみやもと」に行ったのか。みやもとはイノシシ、シカの肉を扱う店として有名なのだ。

 7日夜に佐伯市番匠商工会青年部が猪肉を使ったケバブサンドを試作したが、その時使った猪肉が「肉のみやもと」で購入したものだった。では、本家本元の味はどうか。食べてみようと宇目行きを思い立ったわけだ。

重岡小の校門から校舎を見た 予定通りに行かなかったが、それはそれでいい。道の駅宇目でしっかり食べて、肉のみやもとや旧重岡小学校校舎がある千束地区へと戻った。旧宇目町(現佐伯市宇目)にあった三つの小学校(重岡小、小野市小、木浦小)は2010(平成22)年3月末をもって長い歴史にピリオドを打った。そして、3校統合で新たに誕生した「宇目緑豊小学校」が4月に開校した。この時の児童数は125人だった。

 ちなみに宇目緑豊小は旧重岡小校舎からそれほど遠くないところにある。

遠くから見ると校舎はまだ新しそうだ 宇目町誌には1961(昭和36)年3月、重岡小学校新築(鉄筋コンクリート3階建て延べ1825㎡)と書かれている。その後、建て直した記録も見当たらないから、この校舎はまもなく築後56年を迎えるわけだ。遠くから見ると、それほど古くは感じさせない。

 この校舎ができた頃、どれくらいの児童がここで学んでいたのだろう。当時あった分校も含めて1961年は767人。その2年前の1959(昭和34)年には889人いた。終戦の年1945(昭和20)年の908人に次いで59年が多かった。

 その後は急速に児童数は減少。10年後の1971(昭和46)年は342人と半分以下になり、その後も過疎化に歯止めがかからなかった。

校舎の裏側は傷みが見て取れる 校舎の裏側に回ってみると、建物の傷みが見て取れる。手前にある大きな木は桜である。4月になればたくさんの花を咲かせることだろう。校舎の後ろ側には体育館とプールがあった。傷み具合がひどい体育館プールは1971(昭和46)年8月に完成、体育館は翌年12月に完成したと宇目町誌にある。ただ、見た感じは体育館の方が傷みが激しいように感じられる。まもなく閉校から7年になる。施設はゆっくりと朽ち果てていくしか道はないのだろうか。

図書室に積まれた本が見えた 体育館が完成した2年後の1974(昭和49)年12月、重岡小で開校百周年記念式典が行われた。長い歴史の中で「これは」というものを一つ挙げるとすれば前身の重岡尋常高等小学校の建設問題だろう。どこにつくるかで重岡村を二分する紛争に発展し、決着までに1907(明治40)年から1911(明治44)年までの期間を要した。

窓越しに地図のようなものが見えた 廃校に足を踏み入れた途端に時が止まったような感覚になる。神社仏閣や仏像を巡るのも良いが、廃校を歩いて気持ちをなごませるツアー企画してもいいかもしれない。よそ者はそんなお気軽なことを考えるが、地域にとって学校が減る、子どもたちが減ることは深刻な問題である。

 解決策はあるのかと言われても首を横に振るしかないが、諦めずに、若い人が戻ってくる、若い人が定着できる地域を目指して、できることを地道にやるしかないと思っている。

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