石灰石と生きるまち

昼食は津久見産ホンマグロの炙り焼きが 津久見市が企画した産業観光モニターツアーに参加した。20日午前9時50分にJR津久見駅前に集合。午前中は太平洋セメント大分工場と石灰石を採掘している新津久見鉱山を見学する。どちらも前に行ったことがある(11月22日付佐伯支局長日誌「児童の工場見学に同行)。今回は工場や鉱山ではなく、どんな人がツアーに参加しているかに興味があった。

 工場と鉱山の見学コースは地元小学6年生に同行したときと基本的に同じだった。

 まずは工場事務所でDVDを見る。工場の沿革、石灰石の採掘からセメント製品になるまでの流れ、技術開発で様々な廃棄物を原材料として取り入れることができるようになったことなどセメント産業の「今」を-25分間の映像で分かりやすく紹介している。

展望台での撮影には制約もある そして、バスに乗り込み鉱山に向かう。鉱山にある450mの展望台から遠く四国を望む。あいにくこの日は曇りがちのうえ、会社側からは写真撮影禁止の要請が。仕方がないので小学生に同行した昨年11月22日に撮影した写真を掲載しておく。

 時間が限られていることもあって工場見学は子どもたちの時より駆け足だった。

 津久見市が観光振興に力を入れていることはこの日誌でも何回か書いた。観光戦略会議を設けて新年度から5年度の中期戦略案を練り、今、原案に対する市民の意見を求めている。

間近で見ると工場の大きさ、迫力が体感できる(昨年11月撮影) その中にあるのが、例えば「我が国でも稀有な景観である『鉱山・工場・港湾』景観などの積極的活用」「津久見の自慢『石灰石・セメント産業』体験観光の実現」である。

 ほかには「世界最古の宇宙塵(じん)と夢が詰まったジオ体験観光の実現」「海遊び体験観光の実現」といったものもある。

 目標は石灰石・セメント産業を楽しく学べる体験プログラムの開発である。そのための第一歩がこの日のモニターツアーだったわけだ。

 言葉だけ躍っていても仕方がない。実際に何ができるかやってみよう。そう考えてまずは企画したようだ。今回のツアー参加者には津久見市の観光協会や商工会議所、大分県中部振興局など関係者といえる人たちも含まれていた。

 旅行商品に仕上げて行くにはさらに試行錯誤を重ねる必要があるだろう。ともかくも形になるまで頑張ってもらうほかなさそうだ。

 産業観光という言葉がいつから使われ始めたか。西日本新聞の記事データベースで検索してみた。すると、1989(平成元年)10月の記事があった。「観光都市への挑戦」と題した連載記事の一つである。主役は北九州市である。

 「市内にある工場を〝学ぶ〟という視点から何とか観光資源に活用できないか」。市観光課が市内の企業に「産業観光事業所」づくりを働きかけた。市は「北九州産業観光へのおさそい」と題したパンフレットを作り、その中で見学できる21の工場と名所旧跡35カ所を紹介した。記事には以上のようにあった。

 北九州市の産業観光への取り組みは約30年に及ぶわけだ。現状はどうだろう。その試みはどこまで成功したのだろう。また、津久見市は先行事例にどれだけ学んだのだろう。

 ツアーとして成功するかどうかはともかく、地元再発見ということでは大いに意味がありそうだ。実際、この日のモニターツアー参加者でも津久見に長く暮らしながら太平洋セメントの工場見学はしたことがない人もいた。

150年近くになるという土中窯 知らないことを知る。工場見学は面白い。この日の最後は漆喰(しっくい)を製造する「丸京石灰」だった。昔ながらの製法を続けているそうだ。

 土の中に埋まっているから土中窯。直径は1.5mほど。中は深く、ここに石灰石が500~600kg入る。窯の内側は耐火れんがで、これまでも何回も張り替えているそうだ。この窯の中に石灰石とコークスが交互に入れられ、コークスの燃焼によって900~1000度の温度で石灰石が焼成される。

説明を受ける土中窯の手前にもう一基が この窯は150年ほど前のものだそうだ。丸京石灰には120年余りの社歴がある。しかし、窯の方がもっと古い。それは廃業した同業者から引き継いだからとのこと。なぜ、昔ながらの製法を続けるのか。そのメリット、デメリットは。こうした話は面白い。津久見は「石灰石と生きるまち」である。長い歴史がある。その間に変わったもの、変わらないもの、いろいろあるだろう。そうした津久見の歩みを市民が再発見する取り組みをしてみてはどうだろう。産業観光の一歩は、遠回りだが、地元の人が地元の産業を理解することから始まるのではないかと思う。

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