マリノポリスと船村徹

公園の石碑に船村徹の名前が 作曲家の船村徹さん死去の報に接して思い出した。佐伯市上浦のマリノポリス記念公園にその名前があったことを。22日に行ってみると確かにあった。「豊後水道ふるさと歌謡祭」「最優秀作品」「船村徹 撰」と。ところで豊後水道ふるさと歌謡祭とは何か。いつ頃、誰が主催したのか、ちょっと調べてみたが、分からなかった。なぜ、この公園の石碑に刻まれているのか。機会があったら改めて調べてみたい。

 この石碑にあるのは歌詞である。タイトルは「日豊本線もどり旅」。作詞者は「吉原ひさを」。とりあえずネットで「豊後水道ふるさと歌謡祭」「日豊本線もどり旅」「吉原ひさを」と順番に検索してみた。

 すると日豊本線もどり旅ではヒットがあった。一つは歌い手が三井由美子で、作曲が登内紀夫とあった。もう一つは歌が飛川恵美で、作曲が花岡優平とある。

 4人の人物の名前が浮かび上がってきた。それも4人とも大分県に大いに関係があるのだ。

 まず、三井由美子とは何者か。ウィキペディアで見ると、福岡県出身の演歌歌手で、作曲家平尾昌晃さんの一番弟子とあった。1972(昭和47)年10月にデビュー。翌73(同48)年4月から放映されたTVドラマ必殺シリーズ「必殺仕置人」のエンディング主題歌「やがて愛の日が」が大ヒットして人気者になったのだそうだ。

 しかし、多忙のために体調を崩し、温泉療養のために夫(登内紀夫)とともに大分県別府市に移り、そこで音楽活動を再開した、とウィキペディアにあった。

 ただし、このウィキペディアの記載には、その情報の根拠となる資料などがなく、記載が正確かどうか判断することはできない旨の断り書きがあった。

 では花岡優平とは。こちらもウィキペディアがあった。大分県別府市出身の歌手、作詞家、作曲家などとある。オフィシャルウェブサイトもあるようだ。

 飛川恵美に関する情報は少ない。どうやらその名前の大分県津久見市出身の歌手がいるようだ。津久見市のホームページで検索すると2008(平成20)年5月号の「市報つくみ」に、名前があった。「4月16日、津久見市出身の演歌歌手、飛川恵美さんがデビューあいさつに市役所を訪問しました」と写真付きで紹介されていた。

 豊後水道ふるさと歌謡祭についてのヒントが見つかるかもしれないと4人について少し調べてみたが、空振りだった。そこで、佐伯市立佐伯図書館に行って、この石碑が建てられた時期の資料を探してみることにした。

文字が読みにくくなった石碑の表側 歌詞が書かれているのは裏側。では表には何があるのか。マリノポリス記念公園記と書かれている。ぼやけてきた文字を追って行くと、マリノポリス(海洋都市)構想は、県南の優れた海域、水産業に主導的な役割を担わせ……とある。それは1982(昭和57)年からの取り組みと続く。

 その先を読むと、「特に洋上太陽光発電システム(ブンゴソーラー)と音響給餌システム(給餌ロボット)はここ上浦の海域で3年有余にわたる実証、実験の結果、多大な成果を修め実用化が図られることになりました」とあった。

 そんな壮大な実験と豊後水道ふるさと歌謡祭、日豊本線もどり旅がどう関わるのだろうと思いながらも、石碑の日付を見ると、平成3(1991)年3月吉日とあった。

 1990年頃の大分県内の動きをまとめている資料はないか。図書館でざっと見ると「県政のあゆみ 平成3年」や「おおいた戦後50年」(大分合同新聞社)など幾つかあった。資料をぱらぱらとめくって、見落としたかもしれないが、豊後水道ふるさと歌謡祭の文字は見当たらなかった。

 マリノポリスは当時の平松守彦・大分県知事が掲げた5大プロジェクトの一つだった。「県北国東テクノポリス」「日田玖珠下毛グリーンポリス」「県南マリノポリス」「大野川流域リバーポリス」と大分市の新産業都市である。

 今、大分県民に聞いてどれくらいの人が覚えているだろう。せいぜいテクノポリスが記憶に残っているぐらいか。

 なぜ、輝かしいマリノポリスの実績を顕彰する石碑の裏に船村徹さんが最優秀作品に選んだ「日豊本線もどり旅」の歌詞が刻まれたのだろうか。今日のところは分からなかった。

 佐伯市では船村さんよりも弟子である鳥羽一郎さんの方が人気、知名度とも上かもしれない。鳥羽さんのホームページをみると、佐伯市鶴見に「男の港」、同蒲江に「豊後の一心太助」の歌碑がそれぞれあるそうだ。

 船村さんには作詞家星野哲郎(故人)とつくった「豊予海峡」がある。大月みやこさんの女の海峡シリーズの一つだという。

 長々と書いてきたが、話は「上浦の公園の石碑に船村徹の名前を見た」ことに尽きる。今日の日誌が長い割に中身に乏しいことを最後におわびしたい。

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