マレガ神父の戦争体験

マレガ神父が描いた第一次大戦での自身の体験 マレガ・プロジェクトと臼杵市による合同研究会が5日、同市中央公民館で開かれた。マレガ・プロジェクトとは、イタリア人神父のマリオ・マレガ氏(故人)がマレガ神父が描いた大分の空襲1930年代に大分で入手した膨大な史料(約1万4千点)を解読・解明する取り組みである。布教のために大分に赴任したマレガ神父はそこで集めた史料をバチカンに送った。それが2011(平成23)年にバチカン図書館で発見された。一体、マレガ神父とはどんな人なのか。

 5日の合同研究会で、京都外国語大学のシルヴィオ・ヴィータ教授が「マリオ・マレガ氏の二つの故郷~イタリア系宣教師の生涯が語るもの」と題して講演した。

 1902年に当時のオーストリア・ハンガリー帝国領で生まれたマレガ神父は第1次世界大戦後にイタリア人になった。マレガ神父が生まれ育った地域は当時のオーストリア・ハンガリー帝国とイタリアの国境地帯にあり、真っ先に戦火に包まれたという。

リュブリャナ時代のマレガ氏を描いた「絵伝」 そのため、当時の住民約3万人全員が疎開させられることになった。マレガ氏はその中で別行動を取ることになった。リュブリャナを経てウィーンへ。そこで神父になるための勉強をしたのだという。

第1次大戦が終わってマレガ神父が生まれ育った地域はオーストリア・ハンガリー帝国からイタリアに変わった。宣教師となったマレガ氏が日本に向かったのは1929(昭和4)年。船はベネチアを出港し、神戸に着いた。

 そして、32(同7)年から45(同20)年まで大分に滞在し、太平洋戦争、第2次大戦の終戦を迎えた。神父の「絵伝」には空襲と大分の教会が描かれている。

 ヴィータ教授はこの二つの戦争と体験を抜きにマレガ神父の生涯は語れないという。

 合同研究会とマレガ・プロジェクト、研究会の前に行った臼杵市の下藤キリシタン墓地と下藤地区の調査など興味深い話は多いが、今日はさわりだけで。土日とあちこち行っていたら、少しくたびれました。

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