上浦町と船村徹その2

石碑に刻まれた歌詞の出発点を探った 大分市に行く用事があったので、ついでに大分県立図書館を訪ねた。宿題として残していたものの一つを少し調べてみようと思ったのだ。作曲家の故船村徹氏と豊後水道ふるさと歌謡祭の関係(2月22日付佐伯支局長日誌「マリノポリスと船村徹」)である。旧上浦町(現佐伯市上浦)のマリノポリス記念公園に石碑がある。そこに「豊後水道ふるさと歌謡祭」「船村徹」の文字があった。2月22日の段階では不明だったが、県立図書館にある「町報かみうら」によって少し分かってきた。

 県立図書館でまずは「上浦町誌」を見た。町誌は1996(平成8)年2月発行だから、石碑に刻まれた91(同3)年3月のことは書かれているはずだ。そう思って見ていると、町誌の最後にある資料編の年表に記載があった。

 1989(平成元)年  第1回豊後水道ふるさと歌謡まつりをB&G上浦海洋センターで開催、とあった。

 ようやく歌謡祭について書かれている資料を見つけた。だが、町誌では年表のこの記述しか見つけられなかった。

 そこで「上浦」をキーワードにして県立図書館の蔵書検索をしてみた。予想以上に資料がある。その中で歌謡祭について書かれている可能性が最も高いもの、それは町の広報紙だろう。

町報かみうらで見つけた歌謡まつりの記事 というわけで「町報かみうら」をさかのぼってみることにした。1989年1月から1990年1月の綴りがあった。ちょうど昭和から平成に移り変わった時期である。89(平成元)年4月1日の「町報かみうら」に記事があった。

 それによると、第1回豊後水道ふるさと歌謡まつりが3月26日、上浦町B&G海洋センターで開かれ、町内外の約800人のファンが会場を埋めた。歌謡まつり実行委員長の松本英明町長(当時)が「このまつりを全国的なイベントに育て上げよう」とあいさつ、平松知事(当時)のメッセージが代読され、県議会議長らの来賓祝辞が続いた、とある。

 そして、船村徹氏の弾き語りのあと、入選詞8曲を参加レコード会社6社8名の新人歌手により披露され、別府市の吉原寿雄さん作詞の「日豊本線もどり旅」が最優秀賞に輝きました、と書かれていた

 町報に歌謡まつり延期の記事がある町報かみうら」をさらにさかのぼっていくと、「豊後水道歌謡まつり延期」の記事があった。本来は前年の88(昭和63)年11月に開かれるはずだった。だが、当時、昭和天皇の病状悪化があり、自粛、延期することにしたのだった。その際、船村氏に相談すると氏から「開催を延期するのであれば、当初予定の対象曲を1曲に決めずに、10曲程度をノミネートし、プロの作詞家によって補作し、全曲船村氏が曲をつけて、新人歌手から歌唱してもらい入選作品を決定しては」とアドバイスを受けた、と町報にある。

 歌謡まつりはこれで当初考えていたよりかなり大がかりなものになったのではないか。1988、89年といえばバブルのさなかである。いわば「いけいけ、どんどん」の時代だった。そんな時代の気分の中で上浦町の歌謡祭も派手になり、結果として単発に終わることになった。バブル経済の崩壊とともに歌謡祭は再び開かれることはなかった-ということになる。

 ところで船村さんと上浦町とはいつ、どんな形で知り合ったのだろう。9日に図書館で少し調べただけでは分からなかった。ただ、88(同63)年6月1日の町報かみうらに船村氏の話が出てくる。「去る5月21日、佐伯市文化会館で『船村徹ふれあいコンサート』があり、船村氏が本町を訪れた」。そこで歌謡祭についての話が出た。その時点では応募作品は200詞ぐらいだったが、6月30日の歌詞募集の締め切りまでに最終的には400詞が集まりそうだなどという話があったようだ。

 豊後水道ふるさと歌謡祭についての調査はまだ進行形だ。そこには単純に知らないことを知る楽しみにとどまらず、インターネットで検索できない事実を調べることの楽しみがある。何でもかんでもネット検索。それが当たり前のようだが、ネットでは分からないこともある。それを再確認することは何だか嬉しい。

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