ふぐ供養祭で思うこと

この時期に恒例行事となったふぐ供養祭 臼杵市の臼杵魚市場近くで「ふぐ供養祭」が行われた。秋から冬、春とフグのシーズンが一区切りついたこの時期の恒例行事となっているようだ。臼杵を代表する料理といえば「ふぐ」なのだが、では臼杵市内で年間どれくらいの量が食べられているのだろうか。はっきりとした数字はないようだ。臼杵魚市場でトラフグが競りにかけられるのは何回か見たが、その後どこに行ったかは分からない。フグもいいけど、なかなか口にする機会がない。フグに感謝と哀悼の念を表す式もどこか縁遠く感じるのも仕方がない。

 供養祭は導師の入場、読経で始まる。続いて、フグ加工卸しの「木梨ふぐ九州店」の社長が慰霊の言葉を読み上げ、参列者による「水祭り」に移る。通常の葬式での焼香にあたると言えばいいのか。水祭りの順序を書いた紙会場に順序が書いてある。一人一人が祭壇の前に進み出て行うのはまずは「洗米(ひとつまみ皿へ)三回」。次いで「笹水(洗米へ)三回」「笹水(ふぐの水槽へ)三回」などと進んでいく。この手順にはもちろん意味があるはずだが、それについて聞くのを忘れていた。会場にいる全員が水祭りを済ませると、再び読経で締めくくる。そして、トラフグの放流へと場所を移動する。

 水槽から引き揚げられたフグ今年は52匹が岸壁から関係者によって海に放たれた。供養祭の祭主は木梨ふぐ九州店の社長。もらった資料によると、供養祭は当初、木梨ふぐ九州店の「社内行事」として行われていた。それが、臼杵市内のふぐ料理店などでつくる任意団体「ふぐの郷臼杵」との共催になり、今回で25回とある。「臼杵と言えばふぐ」のイメージを作り出すきっかけは木梨ふぐ開業にあった。

 資料によると、木梨ふぐ九州店は1954(昭和29)年に開業した。当時臼杵を含めて豊後水道一帯は良質なフグの漁場として知られていた。ところが、沿岸で水揚げされたトラフグは各地の浜問屋を通じて、ほとんど下関(山口県)に運ばれていた。それを残念に思った臼杵出身の東京・銀座の料亭「菊亭」経営者糸永菊雄氏が、木梨ふぐの先代木梨惟貞氏にフグの卸売業を勧めた。糸永氏のサポートもあって、地元で加工調理され、全国に出荷されるようになった-とあった。

 そんなわけで木梨ふぐ九州店では早くから社内で供養祭を行っていた。放流されたフグの中には大きいのも2匹その後、臼杵市内にふぐ料理専門店が開店し、地方都市では珍しいと市外から多くの客が訪れ、大分県内では「ふぐは臼杵」と言われるようになったそうだ。フグを前面に押し出すのはいいのだが、ちょっと問題もある。関連商品の広がりがない。臼杵ではあまり見かけない。

 「ふぐの郷臼杵」のホームページには「ふぐ饅頭 河(ふ)豚(ぐ)ばっぽ」という商品が紹介されている。ふぐの身と皮とタマネギが入った蒸し饅頭で「臼杵の新名物」とある。これはどのくらい売れているのだろう。

 昨年の今頃もこの日誌で書いた(2016年5月23日付佐伯支局長日誌「コロッケはどうですか?」)。この時はランチで「ふぐ御膳」(3240円)を食べて考えた。そして、次のように書いた。

 ふぐの刺身も唐揚げもうまかった。だが、いつもいつも食べられるものではない。もっと庶民的な食べ物で「臼杵といえば何々」と思い浮かぶものはないか。 

 少し考えて提案をした。「『コロッケ』なんてどうでしょう」。「臼杵市もご当地グルメとしてPRしようとした形跡がある」。

 地元でたくさん捕れるカマガリ(クログチ)を大々的に売りだそうとした時期もあったようだ。コロッケはともかく、フグよりは裾野が広いものを臼杵の名物に育てていく必要はあるだろう。

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