津久見山椒の出来栄えは

画面にぼんやりとキジの後ろ姿がある 山道でキジを見た。道路左側の斜面を登ろうとしている。キジの写真を撮ろうとクルマを止めた。バッグの中のカメラを取り出し、車外に出た。こちらがドタバタと姿を見せたためだろう。向こうは早足で斜面を登り始めた。焦ってしまい、結局、ぼんやりとした後ろ姿しか写せなかった。静かにクルマを止め、車内から撮った方が良かったかもしれない。場所は津久見市の山の中。同市上青江松川地区で山椒(さんしょう)を栽培する佐藤寛次さんを訪ねた帰りのことだった。

 佐藤さんについては一度紹介している(2016年9月30日付佐伯支局長日誌「山椒とマグロと冬の鍋」)。津久見市長の定例記者会見で「マグロ山椒鍋」が話題となり、津久見で山椒が栽培されていることを初めて知った。それで少し調べて佐藤さんのことを書いた。

 いよいよ山椒の収穫時期に入ったので佐藤さんに電話して、自宅と畑を訪ねることにした。国道217号沿いに松川・畑地区の案内板があった津久見市から臼杵市へと抜ける国道217号の新臼津(きゅうしん)トンネルの手前を左に折れる。約1km先に臼津葬祭場があり、その先をどんどん進んでいくと、分かれ道がある。直進が「畑地区」、左折すると「大尾」「松川」とある。左の狭い道へと入る。山道である。佐藤さん宅はこの道を進んで突き当たったところにあると聞いた。

 佐藤さんともう1軒の住人がいるだけの山深い場所である。実際に行ってみると、山椒畑を見せてもらった道の突き当たりにあるのは佐藤さんの山椒畑で、自宅はその手前だった。電話で佐藤さんの自宅を確認し、お尋ねした。「今年は生育が遅く、収穫がまだできない」。そんな話を佐藤さんから事前に聞いていた。実際に畑に行って説明を受けた。この木は去年はたくさん実ったなどと佐藤さんが一つ一つ手に取りながら話をする。現在は約470本あるという。

 2007(平成19)年11月、奈良県から津久見市に移住し、翌年から山椒栽培に取り組んだ。今年10年目となる。植えて6、7年もすると1本の木から5、6kgの実が採れるようになると佐藤さん。当初描いた青写真通りに進めば、今頃はかなりの量の収穫が見込めるはずだった。しかし、自然相手ではなかなか計算通りには進まない。2年目に植え付けた幼木は猛暑で雨が降らずに枯れてしまった。

 シカの食害もあった。高いフェンスで囲われたミカン畑途中で見かけたミカン畑も丈の高い鉄製のフェンスで囲われていた。シカが侵入して幼木などを食い荒らさないように防護しているのだ。今年は天候の具合だろうか、なかなか実が大きくならない。佐藤さんは原因をつかみかねている。

 ただ、山椒は有望との信念は変わらない。津久見に移住する前から山椒を作ることは決めていた。高齢になっても栽培でき、いろんな機械、設備なども要らないから経費を抑えられ収益性が高い。温暖な津久見では早く収穫し、早く出荷でき、高値も期待できる。京都や奈良など関西に比べて九州では山椒は馴染みが薄い。「津久見山椒」として売り出し、山椒を使った商品やメニューを開発して行けば津久見の名産品として認知されていくのではないか、と佐藤さんは考える。

 津久見山椒をブランド化する格好の材料もある。津久見ミカンのルーツは松川地区佐藤さんの自宅と畑の間に1枚の案内板があった。仁藤仁左工門(にとうにざえもん)墓とある。津久見市教委が今年3月に設置したようだ。「『津久見柑橘(かんきつ)史』によると、津久見での小ミカン栽培の始まりは、740(天平12)年のこととされています。仁左工門は、この松川で野生の橘に目を付けて栽培研究し」とあった。山椒はミカン科の落葉低木である。津久見ミカンの発祥の地で山椒を栽培する。山椒はまさに適地適作、良い物ができるのではないか-。小ミカンの話はそんな期待を高める。佐藤さんは若くはないが、もう一踏ん張り、ぜひ頑張ってほしいと思っている。

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