昔の記録はありません

臼杵市では姉妹都市提携50周年式典が 臼杵市役所で原稿を書いた後、佐伯市役所に寄って取材し、支局に戻ると大分県社会福祉協議会から電話があった。5月22日付佐伯支局長日誌などで取りあげた「ひまわりの画家」高木綾子さんについて県社協に照会していたことがあった。その回答だった。答えは津久見市と同じだった。受賞者の記録は2011(平成23)年度まであるが、その前はない-と。「6年前なら憶えちゃいるが、7年前だとちと分からねえ」ということか。それでいいのだろうか。30年史とか50年史とかつくる時に困らないのだろうか。

 第28回豊の国ねんりんピックの洋画部門でヒマワリを題材にした高木綾子さんの作品が最優秀賞を受賞したことは5月22日付の日誌でも書いた。そして、子どもと一緒に絵を習い始めてまもない頃に津久見市絵画美術展で市長賞を受けたと高木さんが話していることも紹介した。これに対し、津久見市には昔の絵画美術展の受賞記録がないことも書き添えた。

 同市の絵画美術展は昨年で37回。まもなく40回を迎え、さらに続けば節目ともいえる50年(半世紀)となる。その時に半世紀を迎えた記念に50年史をつくろうとなったらどうだろう。残念ながらつくれそうにない。記録が残っていないのだから。

 同じことは豊の国ねんりんピックにも言えそうだ。30年、40年、50年の歩みを振り返って過去の記録をまとめようという話が持ち上がったら、どうするのだろう。その時に事務局を務める県社協は「実は記録が残っていません」と言って、話を終わらせるのだろうか。

 不思議なのは、大量の記録を簡単に納めておける手段がたくさんあるにもかかわらず、過去の受賞者一覧といったさほど情報量が多いとは思えない記録を残そうとしていないことである。長く続けば、必ずその歩みや歴史を振り返ろうという話は出てくるだろうと思うのだが。

 臼杵市で取材して記事にしたのは50周年の記念式典だった。臼杵市とスリランカのキャンディ市の姉妹都市提携50周年を祝い、さらなる友好・交流の発展を目指そうという趣旨で行われた。臼杵市とキャンディ市の話は2016年10月6日付佐伯支局長日誌「スリランカの特別授業」などで書いた。

 キャンディ市との交流は石仏が取り持つ縁で始まったと言われるが、詳しいことは分からない。昨年10月6日付の日誌ではそう書いた。以下、引用してみたい。

 臼杵市とスリランカにはどんな交流の歴史があるのか。1992(平成4)年に発行された臼杵市史を見たが、詳しい経緯などは書かれていなかった(あるいは見落としたか)。

 仕方がないので臼杵市史(下)の巻末にある「臼杵市歴史年表」をたどってみることにした。すると、1964(昭和39)年5月30日にM・M・マハルーフ駐日セイロン(現スリランカ)大使夫妻臼杵石仏を見学とあった。

 それから3年後の1967(昭和42)年5月23日。セイロン(現スリランカ)国キャンディ市と国際友好姉妹都市調印とある。

 なぜ、1964年に大使夫妻が臼杵石仏を訪れたのかは手元にある資料では分からない。ただ、これが姉妹都市交流のきっかけになっただろうことは想像に難くない-。

 臼杵を知る少し詳しい資料となると手元にあるのは臼杵市史くらいしかない。ただ、交流の成り立ちをもっと詳しく書いた資料があるのかもしれない。改めて探してみたい。

 少し堅苦しい式典が終わった後、キャンディ市の訪問団6人は市内の福良ヶ丘小学校に向かった。校舎の玄関で子どもたちの出迎えを受け、校長による簡単な説明を受けた後、児童と給食をともにするキャンディ市の訪問団4年生の教室で算数の授業参観をした。そして、給食の時間を迎えた。50周年記念式典を見ていると、正直に言って姉妹都市交流は必要なのだろうか、どんな効果、意味があるのだろうかとの疑問が浮かばなくはない。ただ、子どもたちと笑顔で話し合おうとしている姿を見ると、異文化交流も意味があるものに見えてくる。

 4年生の教室にキャンディ市の訪問団が行ったのを悔しがっている6年生がいた。子どもたちの好奇心は旺盛なのだなと改めて思った。

 

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