災害関連の資料が二つ

昨年8月に行われた臼杵市のジュニア防災リーダー養成講座 古い資料とメールを整理していたら、昨年8月に臼杵市が中学生を対象に開いた「ジュニア防災リーダー養成講座」の教材の一つを見つけた。「臼杵市の災害史」。同講座については2016年8月17日付佐伯支局長日誌「ジュニア防災リーダー」などで紹介した。もう一つは昨年5月にあった河野太郎防災担当相(当時)の講演の記録。西日本新聞東京支社報道部の記者が書いたメモがメールで届いていた。消去する前にプリントアウトしてもう一度読んでみた。

 災害は忘れた頃にやって来るという。大きな事件・事故や災害があれば「それを教訓として生かせ」などとよく書いたりするが、時がたてば人間忘れがちになる。折に触れて過去を学び、思い出すことは意味がある。

 河野防災担当相の講演メモは防災に対する考え方を改めて整理するのに参考になった。講演は昨年5月13日に東京のホテルで行われた。河野氏の講演は直前に起きた熊本地震を念頭に置きながら「防災の視点で、これからの日本をどうするか、政治は何をしなければならないのか」をテーマに行われた。

 河野氏の話は戦後日本の自然災害を振り返えるところから始まった。「大きく転換点がこれまで三つあった」と言う。まずは5千人超の犠牲者が出た1959(昭和34)年の伊勢湾台風である。「伊勢湾台風の経験を踏まえて、何か起きたときの基本的な法律をつくった」。災害対策基本法であり、中央防災会議のことである。

 45(同20)年の終戦後、日本は政治が安定していない、インフラもろくろくないという状態で多くの死傷者を出す自然災害が多発していた。自然災害に対し、国の態勢も制度も整っていなかったと河野氏は言う。

 それが伊勢湾台風を契機に整備された。そして、次の転換点となったのが、95(平成7)年の阪神大震災である。震災対応で政府の危機管理態勢がなってなかったのではないか、初期対応がまずかったのではないか-批判や反省があって国の初動対応を強化した。

 三つ目が2011(同23)年の東日本大震災である。大震災で二つのことを学ばなければいけなかったと河野氏は言う。昨年のジュニア防災リーダー講座一つは「自然災害と原発災害の二つの災害が同時に起きた複合災害」だったこと。もう一つは「最大級(の津波などが)ここまで来ると言うのなら、それに対する備えがなければいかんよね」となったことだと言う。

 最大級のものが来たときに予想される被害をどこまで減らせるか。被害を出さない「防災」から被害を減らす「減災」に考え方のシフトさせようということになった。

 そして、これから起こることは何か-に話が移る。それは温暖化、気候変動による災害の激甚化だと河野氏は言う。確かに今夏も経験した。50年に1度という大雨が各地で降って、「記録的短時間大雨情報」「土砂災害警戒情報」といった気象の専門用語もたびたび耳にした。

 大規模水害の恐れはどこにでもある。その中で国、都道府県の役割、市町村や住民の備えをどうしておくべきか。河野氏はそんな話に進んでいった。

 長々と河野氏の話を書いてきたが、この日誌で最も書きたかったことは、ここからの最後の部分である。

 どこに住むのか。そのことを改めて真剣に考えるべきではないか-。そんなことを河野氏は言っている。色んなところを開発して家を建てる。日本各地でそんな宅地開発が行われてきた。都市部では今でもそうかもしれない。だが、災害の激甚化が進む中で、もともと自然災害が多い日本の「どこに住んだらいいのか」をもう少し真剣に考える必要がある。そんなことを河野氏は講演で述べている。

 臼杵、津久見両市の新市庁舎建設の動きを見ながら個人的に感じたことは、「減災」を進めて行くには今の都市のあり方全体を考える必要があるのではないか、ということだった。

 いつ来るかも分からない災害に備えて、臼杵市中心部の津波浸水想定図わざわざ便利な場所から不便なところに移る人はそういないだろう。では、両市はどんな形で津波の浸水想定区域の被害を減らそうとしているのだろう。両市とも中心市街地が大津波による浸水被害を受けることが予想される。市役所だけをどうこうするだけでは減災対策としては不十分な気がするのだが。

 市庁舎問題をとっかかりにして中長期的な観点で都市全体のあり方を改めて広く論議してもいいと思う。

 冒頭、臼杵市の災害史に触れたので昨年の日誌から少し引用してみる。災害史の講師は臼杵市歴史資料館の館長である。

 「それによると、江戸時代を通じて地震7回、大風雨(台風)42回、洪水32回、火事31回の記録があった。7回の地震のうちでも大きかったのが宝来4(1707)年10月4日と嘉永7(1854)年11月4、5日の大地震だと館長。(嘉永7年は同年内に元号が『安政』に変わったため、同年11月の地震は『安政の大地震』と呼ばれる」

 「宝来の大地震では津波の高さが7mに達したという。一方、安政の大地震は津波の高さが約3mだったが、揺れが強かったそうだ」

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