宗麟公と大分市制百年

大友宗麟の銅像とまつりで並んだテント 15日は終日雨になった。その中でJR大分駅の南と北ではそれぞれ催しが開かれていた。一つは「第5回宗麟公まつり」であり、もう一つは「OITAサイクルフェス!!!2017」。別の会場では自転車のロードレースも行われることになっていた。雨の中で大変だったのではないか。宗麟公まつりについては2016年10月16日付佐伯支局長日誌「大友宗麟の大河ドラマ」で紹介した。その時は「なぜ今、大友宗麟か」がよく分かっていなかった。今年は背景を少し理解している。宗麟の再評価の試みは大分市制100周年記念事業の大きな柱であったことを。

 駅前広場の仮設ステージでのイベントが始まる前の宗麟公まつりの会場を歩くと、各テントでは準備作業が行われていた。大友氏顕彰会のPRブースその一つに「NPO法人大友氏顕彰会」(大分市、牧達夫理事長)がある。昨年の宗麟公まつりでは関連行事として「大友氏顕彰フォーラムイン大分」を開催した。

 そこで「宗麟の大河ドラマへの夢を語る」と題したトークショーがあり、NHK大河ドラマ「大友宗麟」誘致推進協議会という組織があることを知ることになった。

 ちなみに今年は宗麟没後430年で、2030年は宗麟生誕500年にあたるという。そうした節目に向けて宗麟が大河ドラマの主人公となるように地元でムードを盛り上げていこう。NPO法人大友氏顕彰会が2011(平成23)年5月に旗揚げした目的の一つが宗麟の大河ドラマ実現であったそうだ。

 会場には「大友氏顕彰会」のPRブースがあり、「大友氏の風景」と書かれた分厚い本が1冊500円で販売されていた。これを読めばもう少し詳しいことが分かるのではないか。

 そう思って大分県立図書館に行くことにした。「大友氏の風景」には(二)(三)(四)もあった。宗麟にちなみポルトガルワインをそろえた最初の「大友氏の風景」は13(同25)年12月に、(二)は14(同26)年10月に、(三)は15(同27)年10月に、(四)は16(同28)年10月に、それぞれ発行している。今回販売していたのは最新の(五)だったかもしれない。

 「大友氏の風景」は簡単に言えば、顕彰会とその会員の活動、研究記録といっていいだろう。図書館で「大友氏の風景」を読んでいると大分市の市報(2012年1月1日号)の話が出てきた。

 新春座談会と銘打って当時の市長などが登場する。5年前の大分市報の座談会見出しに「今一度、新たな息吹を」「豊後王『大友宗麟』」とあった。書き出しは「市制誕生100周年を迎えた大分市。2012年を次の100年に向けたまちづくりのスタートの年とし、大分市を全国にアピールする歴史上の人物として浮上するのが『大友宗麟公』」などとあった。

 市長(当時)は大分市を全国に発信するにはどうしたらいいかと考えたという。宮崎なら「南国風」、長崎なら「南蛮風」といったように街のイメージ、香りといったものがある。これに対し、大分市を一言で形容する、イメージする言葉が浮かびにくい。

 かつて府内(大分市)は大友宗麟の下で国際貿易都市として繁栄した。多くの宣教師が訪れ、日本初の西洋式病院ができ、日本人による初めての合唱や演劇が行われた。南蛮文化が花開いた街としての大分をアピールし、大分のイメージアップを図りたい。宗麟公の再評価の試みはこうした目的で行われることになった。

 市は子供たちにも宗麟を知ってもらおうと13(同25)年5月に小学6年生用の郷土学習資料として「府内から世界へ 大友宗麟」を作製。同年8月には「南蛮文化発祥都市」宣言を出した。5回目となる宗麟公まつりもこの年に始まった。

 さて、市制誕生100周年にあたって市が考えた宗麟公によるイメージアップ作戦が市民にどこまで理解され、浸透しているだろうか。あまり理解されていない感じもする。

 それはともかく大友宗麟ほど毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする人も極めて珍しいかもしれない。大分市報の新春座談会では「大友宗麟は江戸幕府にかなりイメージをゆがめられた」「宗麟が余りにも強大で、大きな存在だったから」などという専門家の意見があった。

 誰がどんな風に宗麟を評価したのか。様々な資料に描かれている宗麟の「顔」を整理したものがあれば是非読んでみたいと思う。

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