大友氏館展の解説講座

大分市歴史資料館で開かれた展示解説講座 日米首脳がハンバーガーをほおばり、一緒にゴルフを楽しんだ-。大分市歴史資料館を出てクルマに乗り込むと、ラジオでそんなニュースが流れてきた。飲食や遊びをともにする。今も昔も欠かせない人付き合いの方法である。16世紀の大友家でも、その大邸宅がさまざまな儀式や行事の舞台となり、それを通じて当主を頂点とした秩序を形づくり、家臣団の統制や掌握を図っていたのだそうだ。

 大分市歴史資料館で特別展「威信の舞台 よみがえる大友館」が開かれている。歴史資料館開館30周年と大友氏館跡発掘調査20周年を記念した展覧会だという。その特別展の展示解説講座が5日あった。

 冒頭の写真がそれである。特別展の案内チラシには「一冊の日記の解読から始まった」「大きな庭石の発見から始まった」と思わせぶりな文句がある。

 大きな庭石の発見とは発掘調査が本格化するきっかけとなった出来事を言っているのだろう。大友館跡の現地説明会が3日にあった結果、大分市中心部にある大友館跡には戦国大名では類例を見ない5000㎡を超える池庭があったことが分かった。21代当主大友宗麟の時代に絶頂期を迎えた大友家の屋敷は200m四方だったというから、4haの広さだったわけだ。よく比較の対象となる東京ドームがすっぽり入る面積ということか。

 (追記:東京ドームの建築面積を見ると46755㎡、約4.67haとあったので、残念ながら大友館の敷地よりも大きかった。「すっぽり入る面積」との表現は誤りで、訂正しておきます)

 遺跡の調査によって大まかなことは分かってきた。もう少し細かい大友館の当時の姿を再現したい。そう考えたときに有力な資料になったのが、宗麟の子であり、22代大友家当主だった義統が書き残した日記「當家年中作法日記」だった。

 その現代語訳と注釈を掲載した「大友館と府内の研究-『大友家年中作法日記』を読む」(大友館研究会)が最近刊行された。今回の特別展はそれを記念して開いたという意味もあるそうだ。

 何かで読んだ記憶だか覚えていないし、正確かどうかも分からないが、確か義統は豊臣秀吉の朝鮮出兵に加わり、資料館の玄関の案内板そこで失態があって領地を没収、幽閉されることになったのではないかと思う。

 5日の解説講座では、その幽閉されていた時に書いたのがこの日誌で、大友家に代々伝わる儀式などを後の世代に伝えるための資料だったと説明された。大友家はその後、豊後国(大分県)の領主に返り咲くことはなく、義統の日記は大友家として実際的価値はなかったとも言えるが、今、当時の歴史的事実を再現するためには大いに意味があるといえる。

 例えば正月29日の「大表(おおおもて)節」では500人にものぼる家臣たちを大友館に招いて歓待したそうだ。大表の座敷では一番座の者たち200人ほどが「御前の間」「次の間」にわたって着座し、大友氏当主たちから御酒や御膳などを振舞われたという。

 家柄や地位、役職などによって相応の待遇をすることで忠誠を得て秩序を維持した。「戦国大名」などというとアウトロー、既成秩序の破壊者といったイメージがあったが、ちょっと違うようだ。むしろ、儀式や行事を執り行う際、中央(京都)の権威・権力を積極的に使い、自らを権威づける現実主義者の顔が見えた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です