物事には一長一短あり

よく利用する大分県立図書館 「物事には一長一短あり」。教訓めいたことを言えば、そんなことは百も承知だとお叱りを受けそうだ。大分合同新聞をたびたび引用して申し訳ないが、27日付朝刊の論説の見出し「所得制限を導入せよ」の文字を見て何事かと少し驚いた。テーマは乳幼児の幼稚園・保育所の無償化である。

 限られた財源を有効に使うために、本当に困っている世帯、必要とする世帯に絞るべきで、高所得世帯に恩恵が大きい全面無償化は行うべきではない-との主張だった。これも一つの考え方である。

 しかし、所得制限にも問題はある。どこで線を引くかが簡単ではない。年収300万円か、500万円か、800万円か、それ以上か。年収基準が高くなれば制限を設ける意味は実質的になくなる。低くすればわずかな年収の差で無償化になる世帯とそうでない世帯の明暗が分かれる。これは労働意欲にも影響する。

 よく言われるのは扶養控除である。主婦がパートをする際、夫の扶養の範囲内で働いた方が得だと考え、そうする。「103万円の壁」などと言われる。働くことが制度によって制限されてしまう。

 幼稚園・保育所の無償化で所得制限を設けるにしても、そんな問題が起きる可能性はある。

 年収が上がって無償化の対象から外れるよりも、収入を増やさずに無償化してもらっておく方が楽だとなれば労働意欲の向上にはつながらない。

 「貧困の罠」と言われる。貧しいながらも必死に生活をしてきた人が病気などでやむを得ず生活保護を受けることになった。元気になってまた働きたいのだが、そうすると税金や社会保険料の負担などで生活保護を受けていた時より生活が厳しくなる。結果、保護から抜け出せなくなる。

 線引きはうまくやらないと新たな不公平を生みかねない。行政も煩雑になる可能性がある。年収をきちんと把握して無償の世帯と有償の世帯を間違いなく分ける必要がある。

 子ども手当の時も所得制限が議論になった。そして、所得制限が導入された。大分駅前のモザイクアートそもそも何のための子ども手当だったのか。今回の幼稚園・保育所の無償化の狙いは何か。少子化に歯止めをかけ、もっと子どもたちが生まれるようにするためである。

 税と社会保障の一体改革の中で語られたのは、社会保障のもろもろが高齢者に手厚く、子どもや子育て世代に薄すぎた、ということだった。だから、消費税率を5%から8%に引き上げる際、その一部を子育て支援に充てよう。そして、出生率の回復につなげようという話だった。

 子どもを中心に据えた政策だから、家庭の環境(高所得とか中低所得とか)に関係なく一律に手当てを支給しようとなった。

 所得制限はこうした政策意図を曖昧にしてしまう。今回の幼稚園・保育所の無償化の場合はどうだろう。政策効果が中途半端になる恐れもある。

 所得制限云々よりも、この政策の問題点は多面的な視点での丁寧な検討がなされていないことだろう。

 大分合同新聞27日付朝刊の論説は、その経過を簡単に説明している。首相が衆院選の公約で、政策規模を2兆円とし、3~5歳児の幼稚園・保育所を全て無償化、0~2歳児は低所得者に限定して無償化するなどとした大枠を示した。財源2兆円は2019年に10%に引き上げる消費税の増収分を充てるという。

 普段からきちんとニュースを見たり、読んだりしていないので、工業都市・大分の風景そもそもが分からない。なぜ、こんな政策が出てきたのか。なぜ、1兆円でも、3兆、4兆円ではなく、2兆円なのか。使える財源がそれしかないからという消極的な理由からなのだろうか。

 財源がそれぞれ1兆円、2兆円、3兆円の場合、どんなことができるのか。それだけの財源を投じることでどれだけの政策効果が見込めるのか-。この辺も分からない。少し考えると、説明されていないことが多いことに気がつく。

 本来はさまざまな可能性を検討し、選択肢を考え、それぞれのメリット・デメリットを明らかにして、より良いと思われる政策を決める。それでも失敗することはあるが、それがオーソドックスなやり方だろう。最近のさまざまな政策を見ていると、本当に一長一短を検討して決めているのか、よく分からないと感じるものが多い。

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