より人間的より自然な

造り壊す-人の営み 大分県立図書館で借りた隈研吾氏の「小さな建築」を読んでみた。現代の建築に対する氏の目は厳しい。著書には以下のような言葉があった。「工業社会の生産品となり果てた家を、個人が、消費者という受動的存在として、なけなしの金で購買するのである」「大きなものを安く、早く作らなければならない工業化社会は、三角よりも四角が得意だった。四角と直角で作った方が、早く、安いのである」

 「早く」「安く」「大きく」を追求してきた近現代の建築に疑問を感じていた隈氏に決定的な影響を与えたのが、2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災だった。「20世紀の郊外化による自然破壊の結末が、地球温暖化による異常気象と巨大ハリケーンだった」と考える氏が、「建築をゼロから考え直してみよう」と改めて思わせたのが東日本大震災だった。

 氏も「ここなら住んでもいいと思わせる家は多くはない」と書いているが、街を歩き、いろんな家を見て歩いても「住みたいな」と思わせる家はあまりない。古い民家から感じられる重厚さが新築住宅には見られない。なんだか「軽い」「おもちゃ」のような印象を受ける家が多い。それは大量生産・大量消費を前提とした安くて早い工業製品としての住宅だからだと言われると、なるほどと納得できる。

 隈氏が言う「小さな建築」はより人間的な、より自然な建物と言ってもいいのだろう。「釘を使わないことで遅れているとみなされた日本の伝統的な建築技術の価値はどうか」「ふすまや障子などで簡易的に区切る日本の伝統的な間取りは古臭いだけなのか。単純にはそうは言えない」。職業訓練校で少しだけ建築をかじっただけの人間としてはおこがましいが、ここらの問いは面白い。

 「自分なりの家を作ってみる」という職業訓練校の課題がある。以前にも書いたが、リビングやダイニング、客間、寝室など機能にわけて家の間取りを考える-のが基本である。その家に住むのは夫婦と子ども2人との設定である。ただ、同じ暮らしは長くは続かない。

 子どもたちが進学や就職で自立していく。夫婦2人となれば、もっと小さくて、掃除などの維持する手間がかからないところに移った方がいいかもしれない。あるいは介護のための親を自宅に引き取るかもしれない。

 住み替えがもっと自由にできればいいだろう。若いころに建てたマイホームがいい値段で売れれば、老いた夫婦2人の新たな生活の場も確保しやすい。しかし、今の不動産市場ではうまく売れるかどうか分からない。

 隈さんの本を読んで改めて思うことは、超々高齢化社会の到来にもかかわらず、社会や家族構成の変化に現状の仕組みが十分に対応できていないということだ。指導層と呼ばれる政治家や官僚の役割は変化にいち早く気づき、どうすればいいか、その処方箋を考え、人々に示すことだろう。残念ながら、その職務を果たしているとは言い難いと個人的には思う。

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