七福神の手掛かりなし

柞原八幡宮では今年も初詣の参拝者が多かったようだ ポリテクセンター大分(大分職業能力開発促進センター)では12日、2月入所生の選考試験が行われた。そのため、昨年11月入所生の訓練は休みになった。同センターのホームページを見てみると建築CAD・リフォーム技術科など3科で追加募集をしていた。深刻な人手不足の中で就職・転職先もいろいろあるから、半年間もかけて職業訓練を受ける必要性も薄れているのかもしれない。

 当方は休みを利用して大分県立図書館に行き、改めて七福神について調べてみることにした。

 大分県教育委員会が発行してきた資料集「大分県文化財調査報告書」や、60年以上の歴史を誇る「大分県地方史研究会」の資料などを見てみたが、有力な手掛かりは発見できなかった。ただ、七福神とまったく関係がない、面白い資料を一つ見つけた。

 それが「大分県古民家調査概報」。調査したのは大分工業大学(現日本文理大学)建築学科建築史研究室とある。和文タイプライター(といっても若い人には分からないだろう)で打ったと思える文字で、報告書といってもきちんとした製本という感じではない。

 研究室の先生が学生とともに大分県内の古民家を訪ね歩き、由布岳(左)、鶴見岳(中央)も積雪が。右は高崎山「現状平面図」と「透視図」(スケッチで民家の外観を記す)を描いたものだ。ざっと数えると190軒ぐらいある。中には400年、300年前にできたという家も登場する。

 概報が発行されたのは1974(昭和49)年12月とある。それから43、44年になる。この報告書に記録された古民家群はどうなったのだろう。

 調査に偏りがあったのかもしれないが、報告書にある古民家は現在の日田市域、国東市、佐伯市米水津、大分市野津原町などに多い。とりあえず、現在は大分市となった当時の野津原町今市などを訪ね、古民家の今を探ってみたい。

 七福神では収穫がなかったが、建築関係では新たな勉強の足掛かりが一つできた。

 ついでに、大分県地方史研究会についても一言。もしかしたら面白い話があるのではと少し期待していた。同研究会発行の「大分県地方史」の第一号は1954(昭和29)年10号に出された。主催者であり、事務局でもあったのは大分大学学芸学部(現教育学部)国史研究室だったようだ。

 今も大分大が中心になっているようだが、事務局は大分県立先哲史料館となっている。ただ、研究会には大学や行政の関係者にとどまらず、郷土史家と呼ばれる民間人も多く参加しているようだ。そんな研究会なら庶民に流行ったもの、それぞれの時代の風俗にも目が向くだろうと思った。

 実際、大分県地方史の中にはそんな庶民的な話も少なくはなかった。ただ、ざっと見た感じでは七福神についてはまとまった論考を見つけられなかった。七福神については今回も空振りに終わってしまったが、その時々に庶民の間に流行ったもの(例えば庚申信仰など)に注目していきたい。そこに、その時代の空気、庶民の心理が映し出されているはずだから-と思っている。

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