PANA通信社とは?

昨年末に図書館で借りた本の一つ 年末年始の休み用に大分県立図書館で4冊の本を借りた。そのうちの1冊が予想外に面白かった。「PANA通信社と戦後日本-汎アジア・メディアを創ったジャーナリストたち」(岩間優希著、人文書院)。何気なく書棚から本を取り、ぱらぱらとめくってみると「岡村昭彦」の名前があった。

 第1章「ヴェトナム戦争とPANA通信社-戦場を駆け抜けたフォトジャーナリスト・岡村昭彦」とある。第2章以降も「近藤幹雄」「長谷川才次」「宗徳和」「陳加昌」がそれぞれの章のキーマンとなって話が進むのだが、残念ながらこの4人については何も知らない。岡村の名前にひかれて借りたのだが、読んでみると知らないことばかりだった。

 岡村昭彦は日本を代表する戦場ジャーナリストの1人である。ベストセラーとなった岡村の「南ヴェトナム戦争従軍記」の「はじめに」で次のように書く。

 「やっと南ヴェトナム戦争の最前線にたどり着いたとき、あるアメリカ軍将校が私を評して『まさにこの最前線司令部にまぎれこんできた、戦争について恐るべき無知の日本人新聞記者』といいました。まったくそのとおりです」

 岡村の従軍記は魅力的な書き出しで読者を引きずり込む。ところで、「PANA通信社と戦後日本」の著者は大学院で「ヴェトナム戦争とジャーナリズム」について研究する中で、岡村を特派員としてベトナムに派遣したPANA通信社に興味を持ち、調べていくことになったのだという。

 PANA通信社は占領下の東京で産声を上げた。その中心となったのがハワイ生まれの中国系米国人のジャーナリスト宗徳和。この本の中で宗について興味深いエピソードがいろいろと書かれている。

 PANAはPan-Asia Newspaper Alliance(パン・アジア・ニュースペーパー・アライアンス)の略である。「アジアのニュースを、アジアの視点から、アジア地域の新聞に提供する」ことが目的だったと著者は書く。

 太平洋戦争に敗れ、実質的に米軍の占領下にあった日本、東京でなぜ、そんな組織が誕生したのか。

 敗戦直後、日本に約200人の特派員が押し寄せたのだそうだ。宗徳和もその1人。宗は中央通訊社の特派員としてサイパンや硫黄島の戦場を取材。その後、米海兵隊とともに神奈川県横須賀市に上陸し、敗戦後の日本を取材することになった。

 著者は言う。「国際ジャーナリストは常にその時々の事件を追いかけ世界を回っている」。この当時であれば「日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、太平洋諸島での戦い、沖縄戦、占領下東京、朝鮮戦争、そしてヴェトナム。こうした現場で取材を重ねる彼らは顔見知りとなり、中でも宗はよく知られた存在だったのだ」と。

 宗やシンガポールにいた陳の後押し、支援もあって岡村は戦場カメラマン、報道人としてヴェトナムで輝かしい仕事ができた。ここらあたりも面白かった。ちなみにこの本に登場する長谷川才次は時事通信社の社長を務め、PANA通信社を「時事」の子会社とした人物である。長谷川もPANAを足場にアジアをネットワークするニュース配信網を作り上げようとした。

 しかし、「汎アジア」という時の宗と長谷川の捉え方、考え方は大きく違ったと著者は言う。「まず宗や陳のような華人はアジアを自分のこととして捉え、その中に身を置いている」。「それに対して、日本人にとってアジアとは対面するものであり、自分自身のことではなかった」

 今の報道を見ていても、それは変わらないと感じる。今はアメリカというフィルターを通してアジアを見ているのではないかと感じることが少なくない。

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