明野の歩みが図書館に

図書館にあった「明野のあゆみ」 職業訓練校(ポリテクセンター大分)の帰りに大分県立図書館に寄ると「明野のあゆみ 明野50周年記念事業推進協議会」という資料があった。表紙をめくると「進呈」「本誌は、平成六年発行の『明野のあゆみ』復刻版と、それ以降、平成二七年までの主要な活動を年表に取りまとめたものです」とある。

 明野地域で大規模な団地造成が始まって50年余りが経過したことは30日付の日誌で書いた。この資料はその50年の記録というわけで、2015(平成27)年11月に発行された。ネットで調べて分かったが、この記念誌とともに50周年に合わせて「明野創生ビジョン」がつくられていた。

 記念誌の中身はこれからじっくり読むとして、まずはぱらぱらとめくってみた。「発刊にあたり」があり、当時の市長や市教育長がメッセージを寄せている。

 続いて公民館長と自治会連合会長のあいさつがあり、自治会長は明野地区のまっすぐに伸びた道路が印象的だ「三十数年前まで周りを原野で囲まれ、足を踏み入れる人も少なかったと言われるこの明野の丘に全国各地から多くの人たちがこの地を第二の故郷として移り住み、新しい街づくりが始まって二十五年を経た今、人口二万六千人を超える程に発展しました」と書いている。

 急激に膨張した明野地区の現状はどうか。大分市が16(同28)年3月に公表した「大分市人口ビジョン」で見てみる。それによると、2010(平成22)年のデータで、明野地区(3.7平方㎞)2万1123人となっている(記念誌のあいさつと違うのは対象地域の違いか?)。

 2040年に向けて明野地区の人口は緩やかに増え続けるとの見通しだが、問題はその構成である。

 「明野のあゆみ」によると、1961(昭和36)年に「明野開拓地」が大分鶴崎臨海工業地帯の社宅用地として指名され、65(同40)年に造成工事が始まった。大分に進出した大手企業などの従業員が明野に居を構えた。働き手も若く、子どもたちも小さく、活気ある街になった。

 ところが、今はどうか。少子高齢化の波は全国例外なく押し寄せている。明野も同じである。大分市の資料を見ると、明野地域の高齢者(65歳以上)の割合は2005(平成17)年は12%だった。それが15(同27)年には24%になり、30年には35%、40年には40%になる見込みだという。

 明野地区には明野東小、明野西小、明野北小の三つの小学校があるようだ。この50年の明野地区での児童数はどう推移してきたのか。商業施設その他はどうなってきたのか。「地域」「まち」の変遷、変化を研究するのに大分では明野ほど興味深い場所はないように思える。

 ただ、今のところまとまった調査などの資料を探し切れていない。人口減少という新たな局面に対処する都市の総合戦略を立てるためにもフィールドワーク(実地調査)は重要だと思う。誰もしていないのならば、個人的に少しづつでも調べていきたい。

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