シベリア出兵の百年忌

シベリアで戦死した兵士の墓が連なる 2月に入る前に大分市の桜ケ丘聖地を訪ねてみた。ロシアのシベリアに出征して戦死した兵士の墓がある。1919(大正8)年2月25日から26日にかけて戦闘があり、大分聯隊の一個大隊が全滅する悲劇が起きたという。今年が百年忌である。このことは昨夏(8月15日付)の日誌「シベリア出兵の百回忌」にも書いた。それを思い出して再び訪れてみたのだ。

 小さな丘の手前と斜面の道沿いに墓所が点在している。丘を登り切った一番上にシベリア記念館がある。そこに立った時に何か違う感じを受けた。昨夏と景色が変わった気がする。1日に改めて昨夏の写真を見ると、そのわけが分かった。

 昨夏撮影した記念堂右が昨夏に撮影したものである。8月15日付の日誌で書いたが、この記念堂はシベリアの「ユフタの戦い」で命を落とした兵士らの遺品を保管する場所である。今回、記念堂の前で手を合わせようとすると右側に大きく見えるものがあった。それが次の写真に納まっている。建築中の住宅のようだ。

 記念堂の先には新興住宅地が広がる。地名は「高尾台」。記念堂の右側に見える新築住宅大分市中心部に近い人気の住宅地である。そこに新たに家が建っているようだ。ただ、位置関係がよく分からず、どうすれば建築中の住宅のところに行けるのか分からない。改めて出直すことにした。折よく職業訓練校(ポリテクセンター大分)が1日から4日まで連休となったので、もう一度桜ケ丘聖地とその周辺を歩いてみることにした。

 それで記念堂の右側に写る住宅の正体が分かった。記念堂から見えた場所に建つ住宅記念堂が見下ろせるところにある空き地に一軒、二軒と家が建っている。その隣にも空き地があり、ここにも新たに住宅が建設されそうだ。住宅を建てている横の空き地に少し入ってみると、眼下に記念堂と兵士の墓が見えた。新興住宅地にマイホームを取得して、移り住んでくる人たちは桜ケ丘聖地の歴史を知っているだろうか。

 百回忌の今年こそ、歴史を振り返り、歴史を知り、考える好機である。地元の新聞やTVが百年忌を取り上げてくれればありがたいが、と密かに願っている。

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