市報に見る大分の今昔

市報おおいたの最新号 歩いて巡れる「おおいた七福神」コースが作れないものかと、少しずつ調べていることはこの日誌で何回か書いている(例えば2月18日付日誌「毘沙門橋の由来を探る」)。それで大分市史にあった大分市志手地区の住吉川(毘沙門川)を訪ね、その小さな川にかかる毘沙門橋を写真に収めた。この小さな朱色の橋がどうしてできたのか。それを知る手掛かりがひょっとしたら大分市報にあるかもしれない。そう思って大分市報をネットで閲覧することにした。

 残念ながら毘沙門橋についての情報は得られなかったが、1949(昭和24)年5月20日付の第1号から見ていくととても興味深い。戦後の70余年の社会の急激な変化がそこにある。大分市の戦後史探訪を市報を材料にしてやってみても面白そうだ。

 さて、昔の市報を読む目的が毘沙門橋の由来を調べることにあることは既に書いた。その材料となるのが竣工時期。毘沙門橋には昭和55(1980)年3月竣工とあった。昭和55年3月竣工のようだそこで、その時期の市報(3月1日号、3月15日号、4月1日号、4月15日号)などを見てみた。

 その当時の市報には「カメラレポ-写真ニュースとくらしのページ」と題して、地域の祭りなどを写真と短い記事で紹介するコーナーがあった。もしかしたらとここにあるかもと思ったが、そこにはなかった。当時もほとんど注目もされなかったし、それほど話題にもならなかったということだろう。また別の方法を考えて調べていきたい。

 昔の「市報おおいた」を見たついでに、ぐっと時代をさかのぼってみることにした。発刊開始の昭和24(1949)年から少し市報を見てみることにした。創刊号には当時の市長、故上田保氏のあいさつがある。

 従来、市民には回覧板で伝達していたが、回覧板は市役所の各課が各自各様に出していたため、いろいろと問題があったという。例えば文字は不鮮明で、誤字脱字が多かったりとかしたそうだ。そこで、活版印刷による「大分市報」を週刊として、1週間には必ず1回出すようにすると公約している。

 市報は1枚の紙の裏表の2ページである。1ページ目の最初に市長のあいさつがあり、「天皇陛下大分市御巡幸」「ザビエル遺跡巡礼団 大分市来訪」などのお知らせがある。裏の2ページ目は細かい情報が盛りだくさんの「告知版」などがある。個人的にはこちらの方が面白い。

 告知板の最初に「五月分味噌、醤油の配給について」とある。そして、五月分の味噌、醤油が入荷しました。味噌は一人当たり150匁(もんめ)【※1匁は約3.75gだそうだから、150匁は約562gか】。醤油は一人当たり4合(1合は約0.18ℓだから0.72ℓ)‐との市からのお知らせがある。次は薪炭(たきぎとすみ)の登録更新について。薪炭の卸小売業を営む者は登録が必要だった。薪や炭は当時の主力燃料で、生活必需品が広くいきわたるように統制、規制がかけられていた。今では信じられない話で、「太古」の歴史のようだ。

 同年6月24日発行の第6号には「緬羊(めんよう)の奨励について」とある。「純毛のセーターや洋服がほしいと思っても今の日本の有様ではなかなか望めないことです」と書き出し、ならば年間に三、四ポンドの毛糸が取れる羊を自分で飼ってはどうかとの勧めである。「最近各県とも飼育の奨励に大わらわの状態で」とあるから、同様の動きが全国的にあったことが分かる。

 緬羊と山羊の飼育奨励はこの後もたびたび市報に登場する。

 へぇーと思うものはまだいろいろとあるのだが、少し飛ばして翌25(1950)年に移る。この年の1月13日付の市報第35号のトップ記事は「米、甘藷(かんしょ)の供出に格段の御協力を」である。要するに国民の主食であるコメやイモが不足気味だから、生産者は定められた量をきちんと出すようにと農家に要請したものだ。農家のみなさんが生産に非常な苦心していることは重々承知しておりますがと一見低姿勢を装いつつ、供出制度がある限り定められた量を完納する責任が農家にはあるのだぞと相手を威圧するような姿勢も見せる。

 第35号の裏面(2ページ)には「果樹を植えよう」(園芸メモ)という記事があった。農家だけでなく、一般家庭でも必ず桃や梅を2、3本植えれば大分市の果実の自給率は高まるという市農務課のススメである。

 26(1951)年2月16日の第91号には「兎(ウサギ)の増殖」が市農務課から提案される。「終戦直後盛んであった養兎熱がだんだん冷めて飼育数が減少している」状況に対し、農務課はウサギを飼う価値を改めて訴える。「飼料の不足している今日草で肉や毛や皮を生産できる兎は最も有利な家畜であります」と言い、生産を大いに奨励している。

 1949年から来年で70年である。しかし、当時と現代ではあまりに状況がかけ離れすぎて、今の子どもたちは、そんな時代を生きてきた人々が同時代に生存していることさえ信じられないのではないか。市報を出発点にいろいろと書けそうだ。昔の市報を読んでいるうちにそんなことを考えた。

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