明野団地が生まれた頃

緑町、西町と宅地造成が続いた 明野地域で大規模な宅地造成が始まったのは1965(昭和40)年。第一工区は緑町だった-。明野団地開発50周年記念で発行された「明野のあゆみ」に年表がある。それに沿って明野地域の開発の歴史を見ていこう。2年後に県営住宅・分譲住宅200戸余りが完成し、住民の入居が始まった。そして、この年に第二工区(西町)の造成が始まり、翌68(同43)年には第三工区(北町、元町)、第四工区(東町、旭町、南町)の造成に着手。大分臨海工業地帯に進出した企業の社宅用地として発展していく。

 「明野のあゆみ」には71(同46)年に名古屋から大分にやってきた主婦の話がある。「明野団地は毎日毎日が民族の大移動で、室蘭、釜石、東京、名古屋からの転入者で、日に日に一大団地へと膨れ上がっていった」と当時を振り返る。

 海岸部の埋め立て地に進出したのは九州石油、昭和電工、富士製鉄(現新日本製鉄)といった大企業だった。大手の相次ぐ進出の背景には地元の熱心な誘致運動とともに国の産業政策があった。 続きを読む 明野団地が生まれた頃

河津桜の見頃はいつに

寺嶋林産では炭焼き作業が行われていた 佐伯市から大分市に戻る途中で津久見市に寄り道した。佐伯に行ったのは寺嶋林産で白炭を買うため。昨年12月16日に火鉢に使う白炭(1箱12㎏で4700円)を2箱買ったが、既に1箱はなく、もうひと箱も減ってきた。ここらで1箱補充しておこうと考えた。4日からは厳しい寒さが再来するという。火鉢だけではとても寒波に太刀打ちできないが、手先を温めたりするのにいい。

 寒波と言えば気になるのが津久見市の四浦半島の河津桜である。4日から25日まで「第6回豊後水道河津桜まつり」が開かれる。昨年は1月半ばに花を見かけたが、今年はどうか。昨年に比べ開花が随分遅れているようだ。 続きを読む 河津桜の見頃はいつに

県内児童数6万人割れ

ここらから明野地区か? 何もないところに新しい街をつくる。大分市の明野地区は整えられた街区と広い道路に象徴される「ニュータウン」の一つである。「明野のあゆみ」(明野50周年記念事業推進協議会発行)によると、「明野開拓地」の開発にあたって「建設計画及び配置図等については東京大学都市計画教室の高山英華教授に依頼」したのだそうだ。

 しかし、当初は人口の急増に生活環境の整備が追い付かなかったようだ。例えば学校である。「明野のあゆみ」に掲載された、中一の長男と小六の次男を連れて移り住んだ主婦の体験談は身につまされる。

 その話はあとで紹介するとして、気になったのは現在の児童数だった。明野地区に今、どれだけの児童がいて、それはかつてに比べ、どれくらい減ったのか。それを調べようと大分県や大分市のホームページを見ているうちに大分県内の児童数が6万人を切っていることを知った。児童数の減少は1983(昭和58)年度から続いているのだという。 続きを読む 県内児童数6万人割れ

シベリア出兵の百年忌

シベリアで戦死した兵士の墓が連なる 2月に入る前に大分市の桜ケ丘聖地を訪ねてみた。ロシアのシベリアに出征して戦死した兵士の墓がある。1919(大正8)年2月25日から26日にかけて戦闘があり、大分聯隊の一個大隊が全滅する悲劇が起きたという。今年が百年忌である。このことは昨夏(8月15日付)の日誌「シベリア出兵の百回忌」にも書いた。それを思い出して再び訪れてみたのだ。

 小さな丘の手前と斜面の道沿いに墓所が点在している。丘を登り切った一番上にシベリア記念館がある。そこに立った時に何か違う感じを受けた。昨夏と景色が変わった気がする。1日に改めて昨夏の写真を見ると、そのわけが分かった。 続きを読む シベリア出兵の百年忌