なぜ実態を見誤るのか

昨年末に借りた志賀櫻氏らの著作 ポリテクセンター大分で住宅模型づくりに没頭している間にも世の中ではさまざまなことが起きている。ニューヨーク市場に続いて東京市場でも再び株価が急落したようだ。バブル経済崩壊の序章なのか、あるいは一時的な変調に過ぎないのか。時間の経過とともに明らかとなってくるだろう。過去幾たびも政策当局者は実態を見誤り、結果として事態を悪化させてしまう判断ミスを繰り返してきた。なぜなのだろうか。

 政策当局が実態を正確に把握できない原因を探っていくと「金持ちの貪欲・強欲」に行きつく。米国で始まり世界に広がった「ウォール街を占拠せよ(We are the 99%)」の主張であった(ウィキペディアより)。99%の庶民と1%の富裕層。その1%が富を握り、不公正な格差を拡大させている。その数字はともかく、基本的な構図を考えると、これは誤った答えではあるまい。 続きを読む なぜ実態を見誤るのか

疲れたので休みます

 3日に佐伯でメジナを買った住宅模型作りも4日目に入って疲れてきた。縮尺は50分の1。材料はヒノキの角材を使う。といっても柱や梁には3ミリ四方で、柱の間に入る細い間柱(まばしら)や補強に使う筋交い、床を支える根太(ねだ)といったものは1ミリ角である。根太や間柱はたくさん入る。手先が器用ではないから、接着するための木工用ボンドがあちこちについて見た目が悪い。8日は1階の柱などを建て終わるのが目標だったが、6畳の和室やトイレまで進んだぐらい。外壁づくりに時間がかかった。

 そんなことで今日は休みます。ところで、西日本新聞佐伯支局にはまだ後任が来ていないようだ。久しぶりに電話をかけてみると、自動音声で大分総局の電話番号が流れてきた。本来は「佐伯支局長日誌」のタイトルを早々に返上しなければならいなのだが、後が来ないということで、タイトルを変えないままだらだらと続けてきた。ただ、年度末も近づいてきており、そろそろ打ち止めとする潮時である。

シニアのための見学会

シニアのための職場見学会の案内 自分で設計した木造2階建て住宅(マイプラン)の模型づくりの3日目である。基礎、土台づくりから1階床の根太はりを終え、家の外壁を立ち上げるところまで進んだ。当方の作業はいつも通り、他の訓練生に比べて遅れ気味である。来週の金曜日までに住宅模型を完成させることができるか。甚だ心もとない。

 ポリテクセンター大分の建築CAD・リフォーム技術科11月入所生には7日も指名による求人案内が届いた。当方には大分県シニア雇用推進協議会から自宅に郵便が届いた。中に「シニア就活のための職場見学会のご案内」があった。 続きを読む シニアのための見学会

早くもオファーが到来

大分県内も人手不足が続いている 自分で設計した木造2階建て住宅(マイプラン)の模型作りの2日目である。当方は平面図や立面図、伏図にぎりぎりまで手を加えていたので、それぞれの図面の整合性がとれていない。模型を組み立て始めて、各図面にちぐはぐなところがあることが分かった。我ながら、いい加減である。仕方がないので模型を作りながら適当に修正していくことにした。

 さて、ポリテクセンター大分の建築CAD・リフォーム技術科11月入所生の中では、当方のようなできの悪い訓練生は例外である。その証拠に求人の申し込み(指名)を受けた人が何人もいる。11月入所生の情報は2月1日にポリテクセンター大分のホームページに掲載されたばかりだった。早々の指名は企業側も鵜の目鷹の目で人材を探していることの裏返しでもある。 続きを読む 早くもオファーが到来

住宅模型づくり始まる

 ポリテクセンター大分の建築CAD・リフォーム技術科11月入所生の訓練も残すは後半3か月間となった。ポリテクセンター大分の玄関昨年8月の入所生が訓練を終えて出ていった後に2月入所生が入ってきた。2月入所生は5日が初めての訓練日である。 3カ月前の自分と重ねると2月入所生の何だか落ち着かない気分がよく分かる。当方を含む11月入所生のこれからの訓練は実技(ノコギリやカンナなどを使った実習)になるが、その前に前半3か月間の総仕上げともいえる作業がある。

 それが住宅模型の組み立て。5日から16日までの10日間の訓練日を使って、「総合課題 木造2階建て住宅の設計」(マイプラン)で描いた平面図や伏図などを基に住宅模型を作る。50分の1の縮尺でヒノキの細い材を材料に作る。10日間かけて丹念に仕上げれば6カ月間の訓練の良い記念になりそうだ。

明野団地が生まれた頃

緑町、西町と宅地造成が続いた 明野地域で大規模な宅地造成が始まったのは1965(昭和40)年。第一工区は緑町だった-。明野団地開発50周年記念で発行された「明野のあゆみ」に年表がある。それに沿って明野地域の開発の歴史を見ていこう。2年後に県営住宅・分譲住宅200戸余りが完成し、住民の入居が始まった。そして、この年に第二工区(西町)の造成が始まり、翌68(同43)年には第三工区(北町、元町)、第四工区(東町、旭町、南町)の造成に着手。大分臨海工業地帯に進出した企業の社宅用地として発展していく。

 「明野のあゆみ」には71(同46)年に名古屋から大分にやってきた主婦の話がある。「明野団地は毎日毎日が民族の大移動で、室蘭、釜石、東京、名古屋からの転入者で、日に日に一大団地へと膨れ上がっていった」と当時を振り返る。

 海岸部の埋め立て地に進出したのは九州石油、昭和電工、富士製鉄(現新日本製鉄)といった大企業だった。大手の相次ぐ進出の背景には地元の熱心な誘致運動とともに国の産業政策があった。 続きを読む 明野団地が生まれた頃

県内児童数6万人割れ

ここらから明野地区か? 何もないところに新しい街をつくる。大分市の明野地区は整えられた街区と広い道路に象徴される「ニュータウン」の一つである。「明野のあゆみ」(明野50周年記念事業推進協議会発行)によると、「明野開拓地」の開発にあたって「建設計画及び配置図等については東京大学都市計画教室の高山英華教授に依頼」したのだそうだ。

 しかし、当初は人口の急増に生活環境の整備が追い付かなかったようだ。例えば学校である。「明野のあゆみ」に掲載された、中一の長男と小六の次男を連れて移り住んだ主婦の体験談は身につまされる。

 その話はあとで紹介するとして、気になったのは現在の児童数だった。明野地区に今、どれだけの児童がいて、それはかつてに比べ、どれくらい減ったのか。それを調べようと大分県や大分市のホームページを見ているうちに大分県内の児童数が6万人を切っていることを知った。児童数の減少は1983(昭和58)年度から続いているのだという。 続きを読む 県内児童数6万人割れ

シベリア出兵の百年忌

シベリアで戦死した兵士の墓が連なる 2月に入る前に大分市の桜ケ丘聖地を訪ねてみた。ロシアのシベリアに出征して戦死した兵士の墓がある。1919(大正8)年2月25日から26日にかけて戦闘があり、大分聯隊の一個大隊が全滅する悲劇が起きたという。今年が百年忌である。このことは昨夏(8月15日付)の日誌「シベリア出兵の百回忌」にも書いた。それを思い出して再び訪れてみたのだ。

 小さな丘の手前と斜面の道沿いに墓所が点在している。丘を登り切った一番上にシベリア記念館がある。そこに立った時に何か違う感じを受けた。昨夏と景色が変わった気がする。1日に改めて昨夏の写真を見ると、そのわけが分かった。 続きを読む シベリア出兵の百年忌